baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 バングラデシュへセンチメンタル・ジャーニー(VI)

 バングラデシュへのセンチメンタル・ジャーニーを総括して、少し冗長になってきたこの旅行記は終わりにしよう。
 現在のバングラデシュ、特にダッカの実情とバゲルハットの世界遺産を無事に見る事が出来、今回の旅の目的は一応達成出来た。ダッカでは大きな外国系のホテルが想像以上に沢山あり、交通渋滞は他のアジアの国々に引けを取らぬまでに激しく、幾つかの高層ビルと沢山の中層ビルが林立している光景を目の当たりにして、貧困の中にも力強い発展の息吹が感じられた。一方で相も変わらず乞食が沢山いるのは悲惨であり、また外国人には戸惑いの隠せない現実であった。
 中でも一番戸惑ったのは言葉であった。英国の植民地であった歴史を引き摺って、35年前は英語は大体何処ででも通じた。召使いは元より、門番や庭師でも多少の英語は理解した。ところが今は英語は通じないと思っていた方が良い。隣のインドでは未だに英語が共通語であるから、バングラデシュでも英語は何処でも通じると昔ながらの考えを持っていたが、これは大間違いであった。街中の看板も、昔は英語が主体でベンガル語は付け足しであったのだが、今は英語が見当たらない看板が、特に地方に行けば普通になっている。ベンガル語はアルファベットではないし、数字もアラビア数字ではないから、英語表記がないと外国人には全く理解できない。
 昔のバングラデシュは高等教育は英語であった。高校ぐらいから上の教育は英語で為されていた。或る日政府が突然公用語ベンガル語とした時は、僕の事務所のスタッフは恐慌を起こした。日常の言葉はともかく、仕事上の専門用語をベンガル語では上手く言い表せなかったのである。早速スタッフが連名で、英語→ベンガル語の辞書を事務所に置いて欲しいと嘆願して来た。手紙もベンガル語で書かされる事になったが、タイプライターすら未だベンガル語の物は普及していなかったから大混乱であった。そしてベンガル語の手紙を遣り取りしてもベンガル人同士ですら中々本意が伝わらず、お互いに電話で英語で捕捉し合っていたものである。そんな英語主体の社会が、今では英語は全くの外国語になっていた。
 インフラ整備は未だ未だである。クルナでは一晩に4回も停電があった。ボーイに訊けば、毎晩の事であると言う。僕の居る間の停電は大した停電ではなく、精々が5分位の事であったが、昔停電が原因でエレベーターが墜落した事があるので、クルナでは階段を上り下りした。道路も少ないし、そもそも舗装が悪い。何処に穴が開いているか分からないので、時々車が穴に飛び込んでボディが悲鳴を上げる。他方、携帯電話は随分広いエリアをカバーしている様である。電話は固定電話よりも携帯電話の方が投資が少ないので、昨今は発展途上国では携帯が先行する。バングラデシュもご多分に漏れていない訳だが、何処ででも電話が出来るのは結構な事である。昔はダッカからチッタゴンに電話をするのも交換手経由で酷い時には数時間も待たされたり、雨が降ると電話が完全に不通になったりした事を思い出すと、正しく隔世の感である。
 インフラと言えば、汽車の線路が随分改善されている。発展途上国の線路は、踏切から遠くを見やれば大体どこの国でも線路が上下左右に波打っている。日本のように線路が真っ直ぐな国など何処にもない。しかも昔のバングラデシュは、単に線路が波打っているだけではなく、二本のレールの間隔も波打っていたものである。それが今回は、少なくともダッカでは線路の間隔はほぼ一定であったし、線路の波打ちも随分小さくなっていた。そんな感想を抱いてジェソールで見たら、未だ昔のダッカと大して違わず懐かしいような歯痒いような気分であった。しかし、未だ未だとは言えインフラも間違いなく進歩はしているようである。
 外国人が一番困るのは、やはり乞食である。乞食は外国人と見ると、いち早く寄ってくる。そしてしつこい。外国人は、しつこく付き纏われると根負けしてついつい金を払ってしまう。乞食に付き纏われるとそもそも気分が落ち着かないから、乞食慣れしていない外国人はどうしても根負けしてしまうのである。乞食の側にすれば、食べられないから物乞いするしかないのだとは思う。乞食はフィリピンでも中国でもベトナムでも、何処にでもいる。しかしバングラデシュ程乞食が多いと、まあインドも似たようなものであろうが、外国人には余りにも印象が悪い。しかも本職の乞食に加えて、相変わらずその場限りの成り上がり乞食が未だ沢山いる。日頃は物乞いをする程ではなくても、外国人と見ればついつい手を出してしまう連中である。それ程、民度が酷く低いのである。
 僕は個人的にはバングラデシュを応援してはいるが、未だ他人に是非バングラデシュに行ってみなさいとは到底言えない。インフラ整備と乞食の削減と民度の向上、それに最低限の英語の普及には、残念ながら少なくとも後30年ぐらいは掛かりそうである、と言うのが今回の旅の結論である。