baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 菅野潤 ドビュッシー・プロジェクト

 今日は浜離宮の朝日ホールで行われた、菅野潤のドビュッシー・プロジェクト第二夜と名打ったコンサートへ行って来た。菅野潤は8月の蓼科のサロン・コンサートに出演した、パリ在住のピアニストである。このドビュッシー・プロジェクトは全二夜で構成されていて、第一夜は5月に上野の小ホールで開催されたピアノ・リサイタルだったのだが、生憎僕はその時は日本におらず聴けなかった。第二夜の今日は室内楽コンサートで、『ソロ、デュオ、トリオで聴くドビュッシー』と謳っている。
 プログラムは、先ず菅野のピアノ・ソロで「スケッチ帳から」。この曲は三段譜で書かれているそうである。僕はピアノは弾かないので、今まで三段譜など見たこともない。手が二本で譜面が三段だと如何いう事になるのだか想像がつかないのだが、曲はドビュッシー独特の不思議な和音の世界に誘ってくれるものであった。菅野は相変わらず音色を大事にして、一つ一つの音に神経を張り巡らせた繊細な演奏であった。何時聴いても、この人は実に澄んだ美しい音を創るピアニストである。次は「チェロとピアノのためのソナタ」。チェロはスイス人のダニエル・グロギュランと言うチェリストで、良く響く甘い音を奏でる。菅野との息もぴったりで、楽しく聴くことが出来た。次は「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」。ヴァイオリンはどういう事情か分からないが、当初予定されていたフランス人のピエール・アモイヤルではなく、急遽代演となった小林美恵であった。小林は僕は二度目であるが、以前と同様しっかりと芯の通った音色で、巧みに演奏していた。テクニックもしっかりしていて安心して聴いていられる。ただ、僕には時として音がしっかりし過ぎて、ドビュッシーの甘さが削がれてしまう様に聴こえる時があった。これは極めて贅沢な批評である事は承知の上での事である。
 そして、最後は「ピアノ・トリオ ト長調」で、ヴァイオリンにはアモイヤルが出て来たから、ソナタの代演の理由が益々謎めいて来た。この曲を通しで聴くのは僕は初めてであったから、非常に興味深く聴く事が出来た。アモイヤルは典型的なフランス的な音を出すヴァイオリニストであった。菅野、グロギャロン、アモイヤルとそれぞれが個性的なプレーヤーでありながら息の合った、正にドビュッシーの音を出しながら、それでいてお互いに鬩ぎ合う良い演奏であった。演奏が終わっても拍手が鳴り止まず、結局二曲もアンコールのある大サーヴィスであった。それにしても、グロギュラン、アモイヤルと贅沢な演奏家を揃えたものである。
 終演後、挨拶に楽屋へ行ったら、先日蓼科で一緒だった駐日ベネズエラ大使に遭遇した。先日の日本代表とのサッカーの親善試合の時に、ベネズエラ国家を独唱していた美声のソプラノは、この大使の夫人である。大使も菅野に挨拶に来られたものであった。夫人は歌のレッスンでロンドンに行っているとて単身であった。明朝5時に夫人を迎えに羽田まで行くとの事、やはり日本人には真似の出来ない愛妻家のようである。大使がぼそっと「こんなにも素晴らしい演奏家が揃った素晴らしい演奏会なのに、お客が一杯ではないのですね。東京は本当に贅沢な処ですね」と漏らした。本当は贅沢なのではなく、クラシック音楽の寂しい実情なのであるが、僕はただ「はぁ」と曖昧な返事をしておいた。