baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 ダッカ会

 今日はダッカ会と言う会合があり、僕も参加してきた。この会は、僕がダッカに駐在していた頃に一緒にダッカで過ごした仲間が旧交を温めようと集まったもので、今日が第一回の集まりであった。当時のバングラデシュは日本人が総勢170人程度、内訳は家族が110人、駐在員が60人といったところであったろうか。劣悪な瘴癘の地で、外食もままならない時期に一緒に駐在していた人達である。しかも一組織当たりの駐在員が少ないから、畢竟仕事では競争相手であったり余り馴れ馴れしくしてはならない関係でも、仕事が終わればお互いの家を訪ねあって、なけなしの酒を酌み交わしたり歓談したりして余暇を過ごしていた仲間達である。外交官も商社マンも学校の先生も国際協力事業団も海外青年協力隊も、仕事を離れれば垣根はなかった。世間も今ほどギスギスしていなかった。大使夫人に公邸で、僕達のような駆け出しが数人招かれて、大使館員がタイやシンガポールから持ち込んだ貴重な刺身や、普段は口に出来ない冷えたビールをご馳走になった事もあった。そんな事は、仕事で公式に訪問する時ならともかく仕事でもないのに、一生涯ダッカ以外では経験できない珍事である。それ程劣悪な環境だったのだが、そんなダッカでお産をした猛者もいる。
 今日の会は、そんな時期を共にダッカで過ごした者達が集まったものである。その後大使にまでなった人もいるのだが、今日はそんな人とも自然に無礼講になってしまった。外務省の慣例では、大使の経験者は終生「大使」と呼ぶのだが、今日は大使も昔そのままの「〇〇さん」である。遠くは京都や浜名湖から駆けつけて来た者もいる。ダッカで一緒だったのはもう40年も前の事であるから、皆それなりの年齢になっている。一番の年長者は今年米寿になったと言う。古希を過ぎた人も数人、残りは皆60代である。本当に40年振りの人は顔が一瞬分からなかったりして、大層失礼してしまうのはクラス会と一緒である。それでも段々に思い出し、思い出せば懐かしさも倍増して話は尽きることがない。僕は先日のセンチメンタル・ジャーニーで撮った写真から60枚程を抜粋して持ち込んだ。余り足繁く行く国ではないので、殆どの人がダッカの変貌ぶりに目を丸くしていたが、田舎の写真には未だ昔のダッカの香りが残っており、むしろ田舎の写真に懐かしそうであった。
 そんな事があったので、今日は以前このブログに書いたバングラデシュの思い出を読み返してみた。我ながら中々面白く、懐かしく読み返した。古い記事なのでご存知ない読者もおられると思うが、時間と興味がおありのご仁は「記事一覧」→「バングラデシュ」でアーカイヴスを一度お読み願えれば幸甚である。拙文は相変わらずだが、当時のバングラデシュの様子が多少垣間見られると思う。住めば都と言うが、駐在当時「ダッカに駐在出来て幸せだ」と言う者は皆無だったと言っても言い過ぎではないと思うが、今は集まればみな昔を懐かしく語り合い、3時間の会はあっという間にお開きになってしまった。