baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 「ドビュッシー、 音楽と美術」展へ

 今日は銀座一丁目でランチの約束があったので、帰りに懸案であった掲題の展覧会に寄ってきた。場所は京橋のブリジストン美術館である。前から行きたかったのだが、来る日も来る日も余りに暑くて京橋の近くまで行っても今まで足を延ばす気力が湧かなかったのだが、ここ数日やっと涼しくなり、と言うか今日辺りは一挙に10月下旬の気候とか言っているが、やっと念願を果たす事が出来たのである。
 音楽家の展覧会であるから、初めから少々勝手が違う。会場にはドビュッシーピアノ曲が流れたりしていて、それも普通の展覧会とは異なる。この展覧会のコンセプトは、ドビュッシーが親交を結び影響を受けた芸術家に関連する絵画や写真、それに少しの彫刻、後は自筆の楽譜、手紙、それに個人の蒐集品の展覧会と言えば分かり易い。順路が少し分かり難くて、途中で順番を飛ばしてしまい、後からまた戻ったり、知らぬ間に常設室に出てしまい、ルノワールの何処がドビュッシーと繋がるのか分からずに一瞬混乱したりしたが、元々ドビュッシーが好きなのでそれなりに大いに楽しめた。たまたま先週菅野潤のドビュッシー・プロジェクトを聴いてきたばかりでもある。
 ドビュッシーが日本の芸術をこよなく愛した事は有名であるが、ドビュッシーが自宅の書斎で若き日のストラヴィンスキーと並んで写っている写真の壁には、葛飾北斎の「富岳三十六景 神奈川沖浪裏」と北川歌麿美人画が掛かっている。交響詩「海」の楽譜の表紙には、その愛蔵の北斎の浪の絵を模写した版画が刷られている。ドビュッシーが所蔵した江戸時代の日本の木彫りの仏像や、蒔絵も陳列されている。当時のパリの画壇ではゴッホを初め、印象派の画家の間では日本の浮世絵が随分人気があったと言う話は聞いていたが、ドビュッシーは絵画に限らず色々蒐集していたらしい事が窺える。大した凝りようであったようだ。自筆の手紙や楽譜は、それは几帳面で、まるで物差しで図ったように小さな字が少しも曲がらずに並んでいたり、五線譜には印刷したような端正な音符が並んでいる。同じ天才でも、バッハやモーツァルトの自筆譜とは似ても似つかない。或いは几帳面を通り越して、大層神経質だったのかも知れないと想像したりした。そういう一連の陳列品を眺めていると、程なく漠然とドビュッシーの独特の世界がオーバーラップして来るのである。
 そんな雑多な陳列品の中で一際強く僕の印象に残ったのが、ダンテ・ガブリエル・ロセッティの「祝福されし乙女」(習作)と、モーリス・ドニの「ミューズたち」である。前者は赤と黒のチョークで描かれたデッサンの様な酷くシンプルな絵で、一般に言われるロセッティの絵とは大分異なるのである。ところがその絵を見ているうちに、その透明な質感の中から虹の様に多彩でいて小さな小さなイメージが溢れ出てくるような、ドビュッシーピアノ曲を聴いていると感じる蓮の葉の表面を虹色の雨粒が転がり落ちる感覚に通ずる、不思議な感覚に引きずり込まれたのである。後者は典型的な印象派のスタイルの絵なのだが、ドビュッシーと言うキーワードを通して見た時に、一面がパステルカラー調の大きな、陰影の少ない絵の中から、ドビュッシーの音楽が聞こえてくる錯覚に陥る共通点を感じたのである。それが何だったのかは未だに分からない。
 展覧会としては少し猥雑な印象もあったが、それこそ雑多な美術館から集められた作品や遺品が一堂に会しているのだから、ドビュッシー好きには堪らない展覧会であった。