baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 東京バレー団の「オネギン」を観る

 芸術の秋という訳ではないのだが、ここのところ何だか芸術づいている。今日は上野の文化会館で今日から始まった東京バレー団のバレー公演を鑑賞してきた。僕は食わず嫌いで今までバレーは観なかったので、生のバレーを観るのは今日が我が人生で二度目である。最初はもう30年以上も昔に、ワンマンで有名だった帝人社長の夫人が大のバレー好きでしばしば海外からバレー団を招んでいたのだが、仕事の関係でその招待券が回って来た時に初めてボリショイバレーの公演を鑑賞した時である。西洋人形がクルクルと回るような華麗なバレーの舞台は大層面白かったのだが、外国の一流バレー団の公演は一介のサラリーマンがおいそれと観られるものではなかった。他方、その頃の日本人のバレリーナは西洋人とは踊りもスタイルも月とすっぽんで、見ている方が恥ずかしくなる程だったので日本のバレー団の公演は観る気がしなかった。それがそのまま今まで続いていた。今日は知り合いに誘われて、切符を貰ったので出かけたと言うのが正直なところである。
 今でもバレーを観る人に言わせれば、まだまだ日本のバレー団の公演は舞台の華やかさでも、バレリーナの技術とスタイルでも、欧州のバレー団とは相当の隔たりがあるそうである。しかし、そういう知識を持たずに観た今日の日本のバレーは、もう立派に西洋にも比肩できるのではないかと思わせる程、30年前とは隔世の感であった。群舞に出てくるバレリーナは男女とも華やかで、僕の抱くイメージは完全に覆された。特に女性はソリストは当然としても、群舞の踊り子一人一人に到るまで踊りもスタイルも華麗で、恥ずかしいなどとは最早全く無縁の人達であった。技術も間違いなく進歩していて、オケのメンバーに言わせれば、少し前までは踊り手から「・・・・・でやってくれないと踊れない」といった注文が屡あったけれども、今はその手の注文は皆無だそうである。つまり、以前は踊りの技術の限界からテンポの指定があったりしたのが、今は音楽の流れの中でしっかり踊れるようになっていると言う。技術の向上について言えば、昨今は欧州の一流バレー団の正式メンバーになっている日本人が珍しくない事からも窺える。
 肝心の公演は、ストーリーはありきたりの恋の擦れ違いの話で大した筋ではないのだが、弾む恋心や擦れ違うやるせない思いを踊りでどう表現するのかが興味津々であった。ところが観ていれば、なるほど恋に高揚する心や切ない想いが綿々と伝わってくる。言葉がないから粗筋を知らないと、舞台を観ているだけで筋を理解するのは少し難しいかも知れないが、粗筋を知っていれば踊りを見ているだけでしっかりとストーリーが伝わってくる。アジアの舞踊と異なり華やか一辺倒かと思っていたバレーも、実は人間の内面の葛藤を表現し得る芸術である事を今日はしっかりと実感する事が出来た。同じプログラムを、プリマドンナ以外はキャストをローテーションしながら三日も懸けると言う。知らぬは吾輩ばかりなりで、日本でのバレーはそれなりに人気があったようである。しかし今日の華やかで煌めく舞台を観れば、その人気も宣べなるかなである。