baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 不毛な断層論議

 大飯で動いている原発以外、他はみんな止まったままだから、折からの円安で火力発電に必要な天然ガスの輸入額が年間3兆円にも上る見込みと言う。買値がバカ高い太陽光発電外資や俄か発電事業者が続々と増え続けているから、今後も電気代が益々値上げされるであろう事は間違いない。そんな中で、最近はやっと少しづつ原発再稼働を支持する発言が公に出来るようになって来た。福島の事故の直後は、そんな事をちょっとでも人前で口に出そうものなら袋叩きに遭いかねない雰囲気であったけれども、この頃は少しづつ現実を見据えた冷静な意見も増えて来ている様に思う。
 ところが原発の再稼働を巡っては、最近は何処も彼処も活断層問題である。以前にも書いたが、地層の専門家と称する識者や学者には何のリスクも責任もない。だから少しでも断層があれば、活断層と言っておけば良い。或いはそもそも脱原発という方向ありきの結論の可能性もある。だから東京の立川断層の様に、コンクリート片と岩石の区別も出来ぬ学者が活断層と断じたりする、大真面目な笑い話が出て来る。そんないい加減な学者が、未だに原子力規制委員会の断層調査に関わっていると聞く。所詮は20万年もの間の話だから、今の科学では誰にも確たる事など分かる道理がない。
 そもそも寿命40年、高々50-60年の原発の可否を論じるのに、20万年もの間の天然現象を論じる事に僕は疑問を感じざるを得ない。リスクを言い出せば、例えば隕石が落ちて来ればどんなに丈夫に作っても人工構造物など一たまりもない。この間見に行った御池山クレーターは1200万年前の、直径推定50mの隕石落下の痕だと言う。今そんな隕石が落ちてきたら、周辺の住民のみならず、全地球規模で夥しい種類の動植物が絶滅する程の気候変動に見舞われるらしい。日本列島に隕石が当たった実績があるのだから、そのうちに誰かが隕石が当たるリスクを言い出しても不思議はない。43億年の歴史の中での1200万年前など、ついこの間の出来事だとも言えるからである。
 福島第一では、地震では原発は壊れなかった。しかも第一世代と言う旧式の、加えて1号機は地震に弱い米国製であったにも拘らずである。ところが津波を被って冷却装置が動かなくなり、人為ミスも加わって水素爆発が起き、あんな大事故になってしまった。すぐ近くの福島第二や女川では事故は一切起きていない。言い換えれば、福島第一を例外として、日本製の原発は500年か1000年に一度の大震災と大津波が一緒に来ても大丈夫であったと言える。そして福島第一でさえも、直接の被曝による犠牲者は出ていない。勿論、未だに家に帰れない人が沢山いるのは気の毒な事である。これらの人々への支援と、除染などの復旧作業には一層励まなければならない事は言うまでもない。しかし幾ら人智を傾けても、自然災害には絶対に歯が立たないのが現実である。極端な喩であるのは承知だが、危険だからと原発に反対するのに、どうして自動車には誰も反対しないのであろうか。自然災害ではなく、人間が惹き起こす事故で年間4500人ぐらいの交通事故の死亡者がいる。当然これ以外に、重度障害の後遺症患者も多数いる。この死亡者数は一時は1万人を超えていたぐらいで、実はこちらの方が余程危ないし、公害を撒き散らしている。が、誰も何も言わない。それが原発になると、ヒステリックに騒ぎ出す。
 前にも言ったが、舶用原子炉を安く作れるようになれば、転がろうが大揺れしようが事故には繋がらない筈である。地面が動いても段差が出来ても壊れない入れ物と、傾いても横倒しになっても支障のない小さな原子炉を作って、それを沢山並べる訳にはゆかないのであろうか。何れにせよ、羹に懲りて膾を吹くのではなく、福島の事故を教訓に一層安全な原子炉を作る努力をすべきである。人間は火を手なずけ、化石燃料を使い熟し、今は原子力を制御しようと努めているのである。そして、余程明白な、万人が納得する証拠でもない限り、不毛な断層の議論はすべきではない。増してやコンクリート片を活断層の証拠と騒ぎ立てるような学者の意見など、聞きたくもない。