baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 富士山の世界遺産登録

 ここ数日はテレビも新聞も、富士山が世界遺産に登録されると、大変な騒ぎ様である。そして無事に今日、プノンペンでの会議で正式に登録される事が決まった訳だが、蓋を開けてみれば元々ユネスコの諮問委員会の答申では対象から外すべきとされていた三保の松原まで世界遺産に含まれたそうである。元々三保の松原世界遺産に相応しくないとされた理由も良く分からないけれど、それが事前には大きな話題にもならなかったのに如何して突然息を吹き返したものか。何処か強力な代理店でも使ったのかも知れない。何れにせよ、先ずはめでたしめでたしであった。
 しかし、高が世界遺産に登録されるのにどうしてこれ程メディアが大騒ぎするのかがさっぱり理解できない。地元の観光業者と、同じく地元の政治家にはプラスであろうけれども、日本人がこぞって大喜びする程の話ではないと思う。斯かる風潮を見るにつけ、それほど大ニュースとも思えないニュースを無責任に煽り立てるメディアと、謂れもなく権威に弱い日本人気質が垣間見えて不愉快になる。
 権威に弱いと言うのは日本人に限った事ではない面もあるが、少なくとも日本人は圧倒的に権威に弱い。それに反して、欧米人は権威付けする事を商売にするのが実に上手である。例えば物作りのTQCでは日本が世界の先陣を切って高い水準で実践していたのに、これがISOと言う権威に置き換わると、日本企業は挙って高い金を払ってISOのお墨付きを受けるのに汲々としている昨今である。或いはミシュランの三ツ星レストランなどと言うと、ガイド本片手に大挙して押し寄せるのは日本人である。殊にヨーロッパの様に伝統と格式のある社会で、凡そ雰囲気に相応しくない日本人観光客が高級レストランに溢れるのを見るのは同胞として聊か恥ずかしい。しかも大層高価なメニューにも拘らず適当にあしらわれても気が付かないし、料理が美味いか拙いかも分かっているかどうか怪しい。ミシュランで三ツ星なら、それ以上自分でコストパーフォーマンスを評価したり、好き嫌いを判断する事すらしようとしない様に見受けられる。
 今回の世界遺産登録のニュースは、僕には実はこの観光客の騒ぎと同類に思える。富士山は、周囲に高い山がないから尚の事、その左右対称の山容は実に美しいし、またその美しさが引き立つ見物スポットが到る所に散在する。その事実に異を唱える積りは毛頭ないし、僕自身富士山は大好きである。その呼称が霊峰であれ何であれ別に構わないが、日本人のバックボーンとして、この景色は子々孫々の代まで末永く留めて置きたいと願う。しかしだからと言って、別に世界遺産である必要は微塵もないと思う。世界遺産になれば多少は観光客が増えるのかも知れないが、白神山地の様に僕の実感としてはそれほど外国人が訪れているとも思えない世界遺産もある。しかし富士山は東京から近いし、周囲には箱根、伊豆半島、沼津、或いは富士五湖等々観光資源には事欠かないから、人集めは然程難しくは無い筈である。それだけに人が集まれば集まる程重要なのは、この雄大な景色を心底大事に思う地元の人間の思いと、環境保全とインフラ整備であると思う。
 そもそも僕は世界遺産の審査を全く信用していない。第一その基準が良く分からない。ダブルスタンダードではないかと思える例がある。昨年僕が訪れたバングラデシュのバゲルハットと言う世界遺産など、如何してあれが世界遺産なのかと驚き呆れる程保存は悪く、建物群も大したものではなく、歴史も浅かった。所詮世界遺産には、その程度の物でも登録される事もあると言う事である。しかも、フジヤマと言えばゲイシャの対ぐらいにしか理解しない外国人が、如何してユネスコの答申を覆してまで三保の松原を対象に入れてくれたものか、正直驚いた。裏では大変なロビー活動があったのは想像に難くないが、オリンピック招致ほど直接的に金が儲かる訳でもないから、ロビー活動も畢竟オリンピック招致に比べれば地味にならざるを得まい。にも拘わらずなので、些か狐につままれた思いである。
 世界遺産になれば多少の箔は付くのかも知れないが、そんな薄っぺらな箔に頼ることなく、日本人として、良い物、世界に誇れる物、美しい物に誇りと愛着を持ち、他の地方からの同胞は元より、外国からの客にも是非見せたい、見て貰いたい、と言う気持ちを持ち続け、その景観や環境を末永く守る事が何よりも肝心であると思う。