baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 同性婚

 米国の連邦最高裁が異性間のみを結婚と定めた「結婚保護法」を違憲と退けたことで、実際には州法により同性婚が認められている州では同性婚に異性婚と同じ処遇が与えられる事になるそうである。同性婚を認めている宗教はなかろうから、宗教上はまだまだ同性愛者には茨の道が続くのであろうが、宗教は脱ければ済む話だから考え様によっては大きな障害ではない。社会的に結婚と認められ、税制面では異性婚と同じ控除や手当が認められ、養子を取ったり相続が普通のカップルと同じ条件になるなど、社会的には大きなメリットが生まれる。同性愛者にとっては大きな前進、画期的なマイルストーンなのであろう。
 僕はずっと同性愛は嗜好の問題だと思っていたから、当然の事ながら理解の埒外であったし、それだけに嫌悪していた。しかし実際には生まれつきのハンディであると知り、今では同性愛者は気の毒と言う感情は持っている。気の毒と思う事自体が上から目線なのかも知れないが、これが正直な感想である。最近は日本でも同性愛は以前ほど忌避される事は無くなり、カミングアウトにも以前ほどの勇気は要らなくなったのであろう。僕も最近あるバーで、若いバーテンにホモであると告白される事があった。嘘か誠かは知る由もないが、冗談でもなさそうだったから恐らく真実だったのであろう。ところがそう言われると、彼が僕を見る目つきが妙に粘っこく感じられ、やはり内心は穏やかではいられなかった。彼が彼女であったなら、同じ目付きで見られても自然だったと思うが、どこから見ても見掛けは男なのにそこに異性を意識しろと言われても僕には出来ない。それで居心地が悪くなり、何とはなく早々に引き揚げた。
 同性愛は生まれた時の遺伝子の組み合わせ間違いなのだそうだから、本人には責任はない。それどころか、生まれつきのハンディなのであれば、それを異端視せずに受け入れる事は必要なのだと思う。しかしそれは理屈の上の事であって、実際には男女間の事には感情が絡む。例えばマンションの隣の部屋に同性婚カップルがいて、恰も夫婦の様に生活していたら、手をつないで買い物に出掛けていたら、僕はやはり穏やかではいられないであろう。勿論排斥したり文句を言う積りはないけれど、お付き合いは難しいと思う。想像するに、気持ちが落ち着かない。
 同性愛者の割合が、日本人と白人とで如何違うのか、或いは一緒なのかも知らないけれど、遠からず日本でも同性愛者が市民権を求める運動を起こすのかも知れない。しかし僕には、キリスト教右派の様に頭から不道徳と決めつける気はないし、実際気の毒であると思う反面、本能的に平静には受け入れ難いのも事実である。理屈ではなく情緒的に、そういう隣人は欲しくない。そんな事を考えさせられる米国からのニュースであった。この問題は僕の目の黒いうちには、日本では起きて欲しくないと心から願う。