baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 エジプトのデモ

 エジプトのデモが深刻さを増しているらしい。当初は反政府、反大統領デモに始まった様だが、昨今はイスラム同胞団のデモも組織され、衝突が起きて死者が出始めた。僕はエジプトには行ったこともなく全くの門外漢だが、反大統領派の不満は一向に改善しない経済と、イスラム色の強い政権運営憲法改正にあると聞く。ムルシ大統領が拠って立つエジプトのイスラム同胞団は、元々相当にイスラム原理主義(テロ組織ではなく、イスラムの教えに厳格な主義)だと聞くから、世俗派の人々には息苦しいと感じられるのであろう。経済の事は分からないが、イスラム色の強い政権運営に世俗派が抵抗を示すのは非常に良く分かる。僕は常々、これがイスラム教が現代、特に現代の西側に中々受け入れられない問題点だと思っている。元々世俗派イスラム教の代表格であるトルコも、現政権はイスラム色の強い政権であり最近は少し世情が不安定になっている。
 イスラム教は本質的には、決して非民主的な教えではない。むしろ社会主義に通ずる教えも多々ある。ただ如何せん、8世紀初頭に出来上がった宗教であり、且つ8世紀以降預言者は絶対に出て来ない事になっているので、神の啓示は8世紀初頭の時代にマッチした内容で止まってしまっている。当時は未だアラビアは部族社会であり、文字も一般的ではなかった暗黒時代である。そこへ新たにイスラム教を布教する為に、神に対峙する精神的な部分は当然の事ながら、日常の事細かい生活規範までをも神はムハンマドの口を借りて指図した。四六時中酔っ払い、刃傷騒ぎばかりを起こし、食べ物がなくなると砂漠の隊商を襲って金品、食糧、塩、婦女子を略奪するのが日常であった砂漠の民を矯正し、ユダヤ教キリスト教からの攻撃から自らを守る為に一致団結しなければならない特殊な状況下での啓示である。それをそのまま現代に当て嵌めようとすれば、サウジアラビアブルネイの如く未だに王族が国を牛耳っている所謂部族国家とか、シリアやカダフィ時代のリビヤの様な独裁国家に陥り易い。キリスト教は早々と政教分離させてしまったが、イスラム教は未だにそれが上手く出来ていない。
 イスラム教の聖典クルアーンのみであり、これはムハンマドの口を借りて人類に下された神の言葉である。そしてクルアーンだけではカバーしきれない日常の些事に亘る事毎の規範は、ムハンマド生存中の言行を記録したハディースである。この二つ以外には何もない。あってはならないのである。イスラム教に言わせれば、モーゼやイエスに折角神が啓示を下したのに、周囲の人間や後世の人間が神の言葉を修飾したり歪曲したりして、段々に当初の趣旨から外れてしまった。そこでもう一度路線を修正する為にムハンマドが遣わされたが、三度同じ過ちを犯さない様にムハンマドに下した啓示と彼の言行が問答無用のファイナルとされている。従い、時代が下って8世紀には想定されていない事象も、全てこのクルアーンハディースを参考にして法学者が判断を下すしかない。
 本来的には、宗教が法律をも全てカバーしているのがイスラム教なので、現代ではそこに如何しても無理が生じる。勿論敬虔なイスラム教徒に言わせれば、僕の様な考えは全く以て受け入れ難い、許し難い考えなのである。しかし現実にはトルコの様に、或いはインドネシアも非常にそれに近いが、イスラム教とは別の法律を整備し、日常の事は独自の法律に則って社会を治めている。これが非常に現実的、且つ効果的な対応であると思う。ところが実際には、この兼ね合いが非常に難しいのである。例えばマレーシアでも、東マレーシア(ボルネオ)ではイスラム色の非常に強い地域があるし、インドネシアではアチェ自治州がその代表格である。こういう地域ではイスラム法と国の法律とが併存している、完全なダブルスタンダードで、しかも日常はむしろイスラム法のシャリアーで律せられているので、世俗主義に慣れた人には大層住み難い。東マレーシアではスーパーのレジも男女が分けられているので、夫婦で買い物をしてもレジでは別々に並ぶ地域もあると聞く。色々な考え方はあろうが、僕から見ればこれは行き過ぎである。しかし略奪が当たり前であった時代には、婦女子は人目に付かぬ様に隠しておかねば、何時攫われるか危なくて仕方がなかった訳である。増してや女性がボディラインを強調したり美しい顔を晒したり肌を露わにする事は、攫って下さいと言っているのと同義であったのだ。
 世界が益々狭くなり海外の情報が氾濫している現代においては、イスラム教が内胞する時代錯誤の問題は、これからも常にイスラム国家の内政不安の時限爆弾になるであろう。この問題にイスラム教徒が折り合いを付けるのはまだまだ至難だと思われる。