baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 ついに高齢者が25%

 今年の敬老の日には、推定で高齢者(65歳以上)がついに人口の四分の一を超えたと言う。高齢者が増えている事がニュースになる度に、現役世代の負担が益々増えるという事がセットになる。絶対に目出度いニュースにはならない。こういうニュアンスのニュースは我々高齢者には何とも居心地が悪く、何だか邪魔者扱いされている様な気分になる。姥捨て山の老人の心持が分かろうというものである。
 確かに世の中が長寿化し、高齢者が増えているのに反して、高齢独身者が増え少子化は中々止まらないから畢竟高齢者の比率は増え続ける。しかも高齢者は選挙の投票率が若年層よりも高いから、政治家にとっては大事な票田で、滅多な事では高齢者の負担が増えるような政策を口にしない。そんな政治家の人気取りの結果、例えば高齢者の医療費の自己負担比率など、実際高齢者が優遇されている例も多い様に思う。
 しかし我々も若い頃には、戦後日本の復興発展を担って、それこそ死に物狂いで働いた。企業戦士、とか猛烈サラリーマンとか言われたけれど、本当に我を忘れて働くのが当たり前であった。僕が若い頃は土曜日も半日仕事をしたし、夕食も食べずに残業して終電になり、夕食は自宅で1時過ぎに食べ、翌朝はまた普通に出社する、などという事も日常茶飯事であった。深夜帰宅といって終電がなくなるとタクシー代が支給されたから、朝の3時、4時まで仕事をしていた事も珍しくなかった。日本人の働き過ぎが海外で問題にされ、外圧で休日が増えたのも僕達の現役時代である。実際、病気でもしない限り休日以外は休める雰囲気ではなかった。
 平日が連日そんなであるから、休日はボロ布のように寝ていて、家族との触れ合いなどは二の次、三の次の生活だったのである。そうして日本を世界第二の経済大国に押し上げ、同時に相応の年金や健康保険料を納め、ひた走りに走り続けて60歳を迎え、やっと一息ついた処である。高齢者の若い頃は日本の経済が右肩上がりだったから、定めし楽な生活をしていたのであろうと考えるのは聊か的を外している。
 僕の周囲には、僕を含めて未だに働いている人間が多い。その大部分は決して高給で働いているわけではなく、ただ毎日を悠々自適に過ごすことに一種の罪悪感を感じ、少しでも世間の役に立とうと思って半ばボランティアで働いている者も多い。だから高齢者が働いていても、それが若年層の就職の邪魔になる事は余りないと思う。ずっと家にいると、まるで穀潰しの様で居心地が悪いから、せめて少しでも年金を納めようと言う人も少なくなかろう。
 人口構成がトップヘビーになってしまったのは致し方がない。しかし、今まで高齢者が優遇されてきた制度は改めて、高齢者にも相応の負担を強いるのは当然の事である。政治家は大票田だからと高齢者に遠慮する事無く、公平な負担を強いる事を避けてはならない。しかし同時に、高齢者が現役時代に約束されていた事は守らねば詐欺になってしまう。少しでも現役世代の負担を減らし、尚且つ高齢者にも詐欺にならぬように約束を履行して行くことは並大抵の工夫ではなかろうが、それでも何とかその方向へ向かわねばならない。その為に大事な事の一は、やはり経済を立て直し、産業の空洞化に歯止めを掛け、国内投資を回復させ雇用を増やし、少しでも税収を増やさねばならぬ事は論を俟たない。