baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

自動車の自動運転

先週の水曜日から、ジャカルタにいる。今回はパソコンを持って来ておらず、入力が面倒なiPadを使っているので、ただでさえ最近は無精が身についてしまっているブログ更新が益々間遠くなってしまう。インドネシアでは明日が犠牲祭の聖日で休日である。街では場所により、明日朝にかけて色々な宗教行事が催されるらしく道路が封鎖されている場所もあるが、僕のホテルの周りは珍しく車がスイスイ走っている。ぼくはiPadに写真が落とせないので、今回のジャカルタ報告は帰国後にしたい。
最近気になるニュースに、自動車の自動運転の事がある。初めに断っておくが、僕がこれから書くことは主に都会や高速道路を想定しているもので、地方の過疎地では事情が異なるかも知れないのは承知の上である。
一言で言えば、僕は自動運転の車に乗るような人には自家用車に乗って欲しくない。インドネシアには超小型の乗合バスがあり、普通のバスが走らない住宅街や細い道を走っているが、こういうバスを自動運転にして沢山走らせるなら良いけれど、コンピューターに制御された融通の利かない車が一般道や高速道路を走り回る図など想像するだけで身の毛がよだつ。そんな車にしか乗れない人は公共交通機関を利用すべきなのであって、自家用車を持つなど以ての外である。或いは、酒を飲んだ挙句に自動運転で帰宅しようなどという不届きな輩は尚のこと御免蒙りたいのである。
後部にビデオカメラを付けただけで、最近は駐車が極端に下手な人が増えた。自分の車を傷付けるのは減ったかも知れないが、モニターばかりに頼って前しか見ないから周囲の安全確認も不十分なら、車の向きや左右の車との車間が目茶苦茶のままで平気なのである。こうして自分で車の大きさを意識しなくなってしまうから、何をするにも大雑把な上に動作が遅くなる。僕に言わせれば、後部のビデオカメラ一つで素人の運転は随分下手になってしまった。これが自動運転となれば、もう免許も不要になるのかもしれないが、そんな人に自家用車など持って欲しくない。バスや電車、汽車に乗っているのが身分相応であると言いたいのである。
僕には自動車の自動運転の必然性が良く分からない。人身事故が減るという考えはあるかも知れないが、今の事故と形態が違うだけで、車をコントロールするのが人間である限りは事故は皆無にはならないと思う。自動車メーカーにしてみれば技術力の宣伝効果と合わせ将来の新しい商材であろうが、消費者がそんなメーカーの思惑に乗ることはない。公共路線バスや過疎地の高齢者の足に特化した自動運転であれば、僕も頭からは反対しないのだが。