baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

犠牲祭

 今日はイスラム教の犠牲祭で、当地は休日である。日本でもイスラムの犠牲祭はインドネシアと同じ15日だが、爆弾テロの続くミャンマーは明日との事である。何事も月の満ち欠けで決まるイスラム教では、経度が異なる場所では祭日がずれるのは普通の事である。本来キリスト教の祭日も同じ理屈で、イースターやクリスマスがアメリカとヨーロッパで1日ずれても不思議ではないが、こちらはさっさと太陽暦カレンダーで統一してしまったから世界共通である。
 今日は僕の泊まっているホテルでも、朝7時からボールルームで礼拝が行われ、その後牛が3頭、山羊が11頭屠られる。勿論一般の宿泊客は礼拝の事も、況してや屠殺の事など全く知らぬ中に終ってしまう。この、神に犠牲を捧げる習慣は旧約聖書の創世記に出てくる、現在の人類の祖先であるアブラハムが神命を受けて、晩年になってからやっと授かった息子のイサクを神に捧げる事となり、またイサクも父の意志ならばと逍遥として犠牲台に横たわり父を励ます中、今正にアブラハムの手にある刃物が振り下ろされんとした刹那、親子の神に対する強い信仰を確認した神の命により天使がこれを差し止め、この時は運悪く近くにいた羊が身代わりになった、という故事に基づいている。つまり、ユダヤ教キリスト教イスラム教と受け継がれて来ている習慣である。日本でも今頃は、イスラム式に屠殺された牛が解体されている筈である。
 僕は昔、バングラデシュで牛を屠る現場に立ち会って、余りの凄惨さに貧血を起こしたほどの弱虫なので、それ以来幾ら誘われても近くで見るのは避けており精々が人垣の後ろから覗き見る程度にしている。当然、今日のホテルの儀式はパスである。アブラハム親子には神は随分と残酷なテストをしたものだと思うが、それ以来人間の身代わりに毎年衆人環視の下で屠られる牛や山羊、羊、駱駝には何とも気の毒な習慣ではある。