baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 「カルメル派修道女の対話」

 今日は初台のオペラシティで、「カルメル派修道女の対話」という、何とも重いオペラを演奏会形式で演奏するコンサートを聴いてきた。フランス革命の際に、ギロチンの露と消えた16人のカルメル派修道女の実話を、プーランクがオペラにし、それを今や日本でフランス音楽を振らせたら右に出る者がいないという矢崎彦太郎が、気心の知れた東京シティ・フィルと協演したのである。シティ・フィルも、矢崎の棒だと良く鳴り、良い演奏をする。
 話の筋は、簡単に言えば、フランス革命で共和制を標榜したジャコバン党天下の44日間にギロチンに架けられた1306名の中にいた、「殉教か、信仰を捨てるか」と言う選択を迫られて、最後は殉教に命を捧げたカルメル派の16名の修道女の話なのである。オペラは大変な仕掛けが必要だそうで、滅多に上演される事のないプログラムなのだが、今日は演奏会形式と言う事で8人のソリストの歌手は特段の演技をする事は無かった。僕は単純にストーリーのある音楽として見、聴いていただけなのだが、宗教と国家のあり方を問う重い題材で、休憩が二回も入る長い演奏会だったのに、話とは無関係にどんどんと音楽に惹き込まれ、最後は鳥肌が立つようなフィナーレで、オベーションとブラボーの声鳴り止まず、滅多に出会う事のない素晴らしいコンサートであった。
 難しい話なので中々ストーリーの展開には付いてゆけないのだが、曲が進むにつれオーケストラもソリストも指揮者も何だか神がかりの様になり、フィナーレでは16人の、修道女を演ずる歌手が舞台正面の二階に並び、祈祷文「Salve Regina」を唱える。そこに混声合唱も加わる。オーケストラの低音が単調なメロディーを繰り返す中、祈祷の合唱がピークに達する刹那、ドラムとシンバルの音がドンッと鳴る。ギロチンの刃が落ちたのだ。すると一人の修道女が、ドスンと椅子に頽れ首を垂れる。死刑執行の演出である。陰鬱な低音のメロディーが続く中、ドラムとシンバルの音が繰り返される。その度に一人、また一人とソリストがドスンと椅子に頽れ、首を垂れる。徐々に修道女達の祈祷の歌声が細くなり、陰鬱な低音のメロディーだけが延々と続く。「ドンッ」「ドスンッ」が16回繰り返され、最後に残ったソプラノの息が絶えると、程なくオーケストラも静かに鳴り止む。客席のそこここですすり泣きの嗚咽が漏れている。僕の前の人は、嗚咽こそ漏らさないが涙を拭いている。音が止んだ後の静謐さは、時として僕には過剰な演出に思える時があるのだが、今日のそれは誰もが自然に、身動きもつけなければ息も出来ない、まるで金縛りに遭った様な状態が作り出していた。
 そして一呼吸のあと、突然会場のそこかしこからブラボーの連呼。この頃は演奏が良くても悪くてもブラボーの声は聞こえるが、今日のブラボーは本当に思わず叫びたくなったものであったろう、客席の到る処から自然に沸き起こるブラボーであった。そして客席は静謐から興奮の坩堝に変わり、オベーションは何時までも何時までも鳴り止まない。ブラボーの掛け声と拍手が延々と続き、ソリストと指揮者のカーテンコールは止まる処を知らずの体であった。久し振りの名演奏に接して、僕もすっかり高揚してしまった今日の演奏会であった。