baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 アセアン遍歴

 25日の月曜日から、また海外出張に出ている。しかし今回は普段と異なり小売業と建築家のアテンドだったので、ジャカルタ、バンドン、シンガポール、クアラルンプールと毎日の様にアセアンの繁華街を歩き、ホテルを移って、昨晩も殆ど日が変わりかけた深夜にジャカルタに戻った。その間、連日猛暑の中を大型モールや商店街を歩き周り、携帯に付いている歩数計を見ると毎日15,000歩から17,000歩も歩いている。結構な運動量だと思うが、それにも増して毎日5回も6回も食事をして色々な料理の味見をするので、折角の運動も帳消しであった。しかも革靴で歩いているので、ついに足の裏にマメが出来てしまった。流石に少し草臥れた。
 今まで何度もインドネシアに足を運んできたが、従来僕は小売業やサービス業とは縁がなかったので、今回の様に次から次へとモールを歩いて色々な業種の店を丹念に見て回り、長屋形式の商店を覗いて歩くような事は未だ曽てした事が無い。人々の消費動向や動き、更にはファッションや年齢層までをも観察し、建物の構造やデザイン、インテリアや店内の調度品の一点一点にまで目を配るなど、全くの門外漢である僕には今迄考えた事もない調査であった。しかしそうして見直して改めて気付いたのは、インドネシアの猛烈な活況、上昇志向、日本に対する信頼と憧憬、そしてこの数年で明らかに一皮向けた、垢抜けたジャカルタであった。
 そのジャカルタを後にシンガポールへ足を踏み入れてみれば、これも一昔前とは様変わりの活気と人の多さである。外国人観光客も溢れている。そしてそこに氾濫する日本語と、出自は分からないのだが日本名前の料理店の多さに吃驚させられる。伊勢丹高島屋の中なら驚きもしないが、到る処に日本の名前を冠した店屋が並んでいる。しかも値段は、昨今の日本よりも高い店が大半である。あちらこちらの店には求人広告が張り出されているから、明らかに人手不足なのである。そこでは、インドネシアの熱気を更に上回る、凄まじいエネルギーを感じたのであった。
 そして思ったのは、シンガポールにこれだけ外人の観光客が来ているのであれば、日本はもう少し工夫すればもっともっと観光客が押し寄せるであろうと言う事である。誰でも英語が話せる事を日本にも望むのは無理としても、例えば街の中の懇切丁寧な標識は直ぐにでも真似できる。シンガポールでは、道路や地下通路の至る所にバスや地下鉄のマークが出ていて、何々駅まではどちらへ向かって後何メートルといった事が直ぐに分かる様になっている。土地勘のない者にはひどく助かる。そして表示は全て英語であるから、凡そ世界中の誰にでも分かる。何事も政府が強権で推進してしまう国柄だから出来る事も多々あるのは分かるのだが、日本ももっときめ細かく、コンパクトで分かり易い標識を増やすべきである。他にも細々と、学ぶべき事は沢山ある様に思えた。
 ところが久しぶりのマレーシアに来て、それまで少し逆上せていたアセアンの熱気に少し水を差された様な気がした。クアラルンプールの飛行場は大きくて立派だし、道路もきれいに整備されている。ツインタワーが天高く聳えていれば、鉄道もモノレールも走っていて、その上治安も決して悪くはないので、シンガポールには遠く及ばないとは言え、インドネシアよりは大分先ん出ていると言うのが下馬評であったのだ。資源が豊富な割に人口が少ない事もあるが、一人当たりのGDPはアセアン第二位で、タイよりも遥かに多く、インドネシアの二倍もあるのだから、もっとシンガポールに近い処まで発展していると期待していた。
 もっとももう少し正確に言えば、大ジャカルタと通称される、ジャカルタとその周辺の衛星都市をを加えた地域に限って比較すれば、人口はほぼ同じだが一人当たりGDPは実はマレーシア一国よりも大ジャカルタの方が大きいので、国全体の一人当たりGDPの比較が余り実態を反映していない部分もある。しかし、どうも活気に欠けるのである。人々は愛想も悪いし、仕事ぶりも決して褒められたものではない。街には覇気がなく、ツインタワーの中の大モールを見るまでは、これが本当にクアラルンプールかと目を疑った。インドネシアとは同じマレー系住民にも笑顔がない。そして、夜遅くに入った中華料理店では店主も従業員も中国系だったのだが、英語はおろかマレー語も余り通じず、中国語が主要言語であった事にも驚いた。ペトロナスを筆頭に有力企業があるから、未だそう簡単にある意味ではアセアン2位とも言える経済力が地に墜ちる事はあるまいが、周辺国の熱気との落差が気になった。