baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

集団的自衛権

 現役時代にインドネシアの陸軍中将と懇意にしていた。彼は野戦軍の司令官も経験している叩き上げの軍人であったが、同時にユーモアのセンスと世俗知識に長けた茶目な男でもあった。当時のインドネシアは、国内ではアチェ東ティモールで常に反政府ゲリラと銃火を交えており、国外ではPKOでアフリカやカンボジアなどの危険な地域にも兵を派遣していた。海外での軍人の戦死も時々ニュースになっていた。日本の様に、弾の飛んで来るところには外国の軍隊に行って貰って、自分達は外国軍の陰に隠れて安全な場所で後方支援に当たる訳ではなかった。
 ある時彼が講演会で、「我々軍人には一瞬の判断の遅れも許されない。敵の攻撃に遭遇した時に司令官たるものは即座に退却か、反撃を命令しなければならない。そこで仮にも一瞬の逡巡があれば部隊は即座に全滅してしまう。しかも、判断を求められる時の選択肢は出来る限りは二者択一、多くても三者が限度である。それ以上の選択肢は、実は選択肢ではなく未だ整理が付いていないだけなのである。だから我々は日頃から、問題については常に二つか精々三つの回答を事前に用意し、決断が求められる時には瞬時に決断を下す訓練を受けている」と語っていた。僕は機会ある毎にこの言葉を思い出す。
 昨今の日本の集団的自衛権論議を聞いていると、またこの将軍の言葉を思い出さずにはいられない。集団的自衛権だ、個別的自衛権だ、などと自衛権の範疇をいざと言う時に議論する暇などある筈がない。それどころか、仮に邦人が収容されている米艦が敵の攻撃にあったら即座に米艦の防御と敵へ反撃を加えなければ、邦人は海の藻屑になってしまう。日本は自分で自分を守る事が出来ない国なのだから、いざとなったら他国に護って貰うしかない。その他国が第三国の攻撃に曝されたら、せめて防御・反撃に協力するぐらいの努力をしなければ他国だって日本を護る気にはなれまい。鉄砲を撃つどころか触った事もない平和呆けした政治家が、机上の空論に現を抜かし、何時果てるとも知れない議論を続けている間も、武器も使えぬまま日々体を張って日本の安全を守ってくれている自衛隊員が気の毒でならない。
 ただ、集団的自衛権の問題を時の内閣の政治判断のみで、憲法解釈の変更で解決しようというのはやはり間違っている。現在の憲法が、太平洋戦争での零戦伊号潜水艦、酸素魚雷等の日本の優秀な武器、南方の島々で続いた日本軍守備隊の白人には信じられない玉砕、などのトラウマから抜けられなかった米国が、日本が二度と軍備を持たぬように押しつけたものであり、しかも簡単には変更出来ない歯止めが付けられているから、現在の憲法を変更する事は現実的には不可能に近い。従い憲法解釈の変更という便法で逃げるのは、当面は仕方が無いと思うがやはり正しい方法とは思えないし、政府が替わる毎に憲法解釈が変わり得るのは危険でもある。
 実際、憲法などと言う物は時代と共に変わらなければ不自然である。徳川家康の家訓が現代に残るなどと言う事は想像すら出来ないが、大日本帝国憲法とて1890年から1946年までの56年の命であった。その大日本帝国憲法が戦後も持続したら良かったと思う日本人は皆無と言えようが、その大日本帝国憲法に取って代わった日本国憲法も既に68年経過しようとしている。現実に即さなくなっているのは明らかである。残念ながら戦後の偏向教育のお陰で、日本の武力保持を喜ばぬ第三国の手先の如き日本人が未だに巷に溢れているので、一層憲法の改定が難しくなっている。しかしその困難を乗り越えて、憲法が常に時代に即した物であり続けられ様に一刻も早く改定される事が望まれる。平和憲法を守ると頑なに憲法改定に反対していれば、内閣による解釈変更という、より危うい便法が恒常化してしまう。
 ところで、現在政治家が口角泡を飛ばして議論している、集団的自衛権行使の原則論は議論したら良い。しかし、いざという時にその原則に合致しているか否かを検証してからでないと発動出来ないとか、況してや国会の承認を条件とするなどと言うのはナンセンスの極みである。そういう非現実的な意見を耳にする度に冒頭の将軍の話を思い出すのである。有事には総理大臣が集団的自衛権を発動し、それ以後の個々の武力行使は現場の司令官の判断に任せなければ、同胞の、或いは日本の安全を保証せんとしてくれる同盟国の軍人の、無用な血が流れる事になる。