baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 忙中閑あり 〜 秋山郷

 今年はちょっと忙しすぎる。理由があって少し仕事を増やしたのだが、その仕事が予想に反して忙しすぎる。海外出張も増えたが、国内出張がやたらに多くなってしまい、しかも出張の合間のデスクワークも随分と面倒臭い。そんな訳で最近はちっともバイクに乗れなくなっている。逆にスクーターは便利で毎日の様に使っているが、流石にこの暑さの中では快適とは言い難い。昨日は昼から都心に用があり、時間がタイトだったので普段は使わない首都高を使ったら、これが最寄りのインターから既に大渋滞、直射日光と排気ガスの熱気とアスファルトの照り返しで熱中症になりかかってしまった。首都高にはSAがないし、だからと言ってヘルメットを取る訳にも行かず、気分が悪くなってしまい本当に危なかった。考えてみれば昨日は月始めの金曜日、大渋滞も無理はなかった。
 昨今はまるで現役時代の様な仕事、仕事の毎日でストレスも溜まって来たので、今日は久しぶりにバイクで遠出をした。何処へ行こうかと思案していて、ふと思い出した。友人と時々行く、お気に入りのラーメン屋風の中華料理屋さんのご亭主が秋山郷の出身、美人の奥方が津南の出身だと言っていた。秋山郷は奥志賀への行き帰りに時々近くを通っていたけれど、実は今までそれほど気に止めた事はなかった。大体が僕のツーリングは走る事が主体なので、見たい処、寄りたい処を事前に決めておかないと、どんな名所旧跡でも殆ど走り抜けてしまうのである。だから、あの辺りが「日本の秘境」と言われていると言う認識すらなかったのである。しかし知り合いが郷土自慢をすれば、流石の僕でも興味が湧こうと言うものである。
 今日は久し振りのツーリングだった事に加え、余りに暑いので無理はしたくなかったから、上の様な事情もあり殊勝にも初めから観光目的で秋山郷を訪ねる事にしたものである。夏休みの最初の土日だからだろうか、7時前には家を出たのにもう環八から渋滞していて、関越道は大泉から果てることのない大渋滞であった。三芳のSAまで普通なら20分のところが、今日は幾らすり抜けを頑張っても50分も掛かってしまったのだから、如何に渋滞していたかが分かろうと言うものである。それでも高崎の手前から流れ出し、湯沢を出たのは9時過ぎであったろうか。もう気温は30度になっていた。湯沢から17号で六日町に行き、そこから253号、117号、津南から405号を辿って秋山郷へ向かう。405号は初めの中は壁の様に切り立った山に両側を挟まれていて、その壁と壁の間に時として集落があり、後は森や青々とした田んぼが広がっている。徐々に高度が上がると、今度は見渡す限り濃い緑に囲まれ、眼下には河が流れている。巨大な石が河原に散らばっている場所もある。成る程、秘境と呼ぶに相応しい景観である。付近には天保の飢饉で消滅した集落の跡が残っている。




 秋山郷の外れには切明という、河原を掘るとお湯が湧いて来る場所がある。家族連れが足湯を楽しんでいた。

 帰りは奥志賀を回って帰ろうかとも思ったが、朝の渋滞を考えれば白根山から草津にかけては酷い渋滞が予想される。今日は無理をせずに、温和しく元来た道を引き返す事にした。行き掛けに目に留まった「萌え木の里」という処で昼食を摂った。山女魚の塩焼き、地元の山菜のけんちん汁と煮付け、これも地元の「コシヒカリ」、大層な美味であった。興味ついでに注文した秋山豆腐の冷奴は、能書き通り硬くしっかりしており、味の濃い豆腐であった。

 給仕をしてくれた、20代半ばと見受けられる若い女性は、東京で働いていたけれどもこの自然が好きで、今年の三月に地元に戻って来たと言う。聞けば津南の出身だそうである。新潟は越後美人で有名だが、中でも津南は美人の産地なのかも知れない。冬はどんな生活か訊けば、常時積雪は2m程だと言う。それなら冬は一日炬燵に籠って酒でも飲むしかないのかと思ったら、雪掻きは市がしっかりしてくれるのでそんな事は無いとの事であった。冬と雖も、夏程ではないにせよお客があるのでお店は開けるそうである。ただ、一晩降り続けば1m近く積もるので、そういう時は雪掻きも間に合わず午前中は出られなくなると言う。因みに、掻いた雪は道から崖下に落としてしまうだけだそうである。豊かな自然と深い緑は羨ましいが、都会育ちの僕には暮らせそうもない。
 今日は時間に余裕があるので、帰りにはひまわり広場へ寄ってきた。一面のひまわりは壮観である。

 帰りは湯沢で関越に乗るのは止めて月夜野まで17号を走る事にしたが、これが大正解で三国峠では快適なライディングを満喫出来た。今日は温和しいツーリングだったので、未だ明るい中に帰宅した。総行程564.3km。大いに満足し、久しぶりにストレスが消し飛んだ一日であった。