baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

東欧旅行

2週間の東欧旅行を無事に終え、今はヘルシンキの空港ラウンジで帰国便への搭乗を待っている。ソ連が崩壊してから、ブダペストプラハを訪問するのが四半世紀の間ずっと夢であった。特にプラハモーツァルトのシンフォニーの標題にもなっており、目の黒いうちにどうしても訪れたかった。ついでに、東西境界の15kmまでは近づいた事があったのだが未だ足は踏み入れた事のなかった旧東独にも足を延ばしたかった。歳を考えて無理のない旅程を自分で組み、旅程に合わせた飛行機、ホテル、レンタカーの手配は全て馴染みの旅行会社に任せた。だから細かい手配については余り頭に入っていないまま出発したのだが、何とか予定通り帰国の途につくことができそうである。久しぶりの左ハンドル、右側通行も何とか無事に切り抜けて、オーストリアハンガリースロバキアチェコ、ドイツをまぁまぁ無難に走り切った。
旅行中に目立ったのが、何処にでもいる中国人旅行者であった。歩道に立ちはだかって塞いでしまい辺り構わず大声で話すグループ旅行者、何とも奇天烈な、一目で中国人と分かるファッションで寄り添う若い男女、今や日本の何処ででも普通になった光景がヨーロッパの観光地でも普通の光景の様である。しかし中国の人口全体から見ればまだまだ極く一部とは言え、これだけ沢山の中国人が西側の自由で民主的な空気に触れて、共産党一党独裁は何時まで続くのであろうか。僕が予言している2050年まではとても保たないかも知れない。ノーベル平和賞を受賞した劉暁波の病状や国外移送問題にしても、幾ら中国共産党と雖も海外のネットまではコントロールできまいから、報道規制にも間違いなく綻びが生じよう。
それと、独り者と思しき高齢者の多い事。元々足の弱い人が多い白人が、覚束ない足取りで一人で路面電車に乗り降りしたり、荷物と杖で両手を塞がれ傘もさせずに雨の中をヨチヨチと歩いているのを見ると寂寥感を禁じえない。日本でも老々介護など高齢者の問題は日々喧しいが、小家族性が徹底している欧州ではどの様に凌いでいるのであろうか。物綺麗にした老婦人がスカーフ一枚で大雨の中をゆっくり、ゆっくりと歩いていた姿が瞼から消えない。
ホームレスや乞食の多いのも想定外であった。定かではないがその大部分はジプシーではなく、今ヨーロッパで大問題の難民や移民である様に見受けられた。特にホームレスは東京にも夥しい数がいるので珍しくはないが、ヨーロッパのホームレスはその悪臭が日本人の比ではない。中には昔の汲み取り便所を彷彿とさせる強烈な悪臭を周囲10メートルぐらいに撒き散らす猛者もいて閉口した。日本の昨年の難民受け入れは11,000人近くの申請に対して僅かに28人だったというニュースをドイツのテレビで見たが、いたずらに難民を受け入れるのは外国人に免疫のない日本人には物凄いストレスになると思う。安易に人道主義に走る事なく、国内の安寧を第一とするのもやむを得ないと思ったものである。
ここヘルシンキは特に来たい場所ではなかったのだが、時期的に白夜が見られると思い敢えて一泊する事にした。夜の7時にホテルにチェックインしたのだが、それからでもまだ十分市内観光が出来る。結局空が暗くなり始めたのは夜半過ぎ、1時半頃にやっと暗くなったがそれでも未だ薄明るくて星影などは望むべくも無い。折角なので夜明けまで起きていようと思っていたのだが、それまでにビールとワインを浴びていたツケが回って知らぬ間に寝込んでしまい、目が覚めたらもう朝の5時、まっ昼間の日差しであった。後悔先に立たず。
観光は観光として大いに満喫したけれど、日本やインドネシア以外に出掛けることも滅多に無くなった今日この頃、色々と考えさせられた今回の2週間であった。