baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 9・11 コーラン焼却

 米国のフロリダにある教会の牧師とそのグループが、9・11テロのあった9月11日にコーランを焼却すると言って物議を醸している。ローマ法王庁EUも米国政府も国連も、こぞって反対しているが牧師以下には計画を変更する意思はないと言う。聞く処によれば、このグループは徹底的なキリスト教至上主義、反イスラムで、言って見ればテロリストと同列の過激派キリスト教徒のようである。クリントン国務長官は「僅か50人にも満たないグループのやろうとしている事が、米国の兵士や米国民の命を危険に晒す」と警告している。
 このクリントン国務長官の発言が、問題の複雑さを象徴している。一般に西欧の人間は、ブッシュ大統領に代表されるように、イスラム教徒とテロリスト、或いはイスラム原理主義者との区別が判然としていない。もしこの区別がついているなら、9・11の仕返しにコーランを焼き払うなどという発想自体が出て来る筈がないし、クリントン国務長官が直ぐに兵士や国民の命に言及する筈はないのである。クリントンには「9・11の犯人はアルカイダであってイスラム教徒ではない。だから、世界中のイスラム教徒を侮辱するような事は慎むべきである。しかも、イスラム教徒を侮辱すれば、テロリストに米国攻撃の絶好の口実を与え、米国の兵士や国民の命を危険に晒す事に繋がるのだ」と正確に言って欲しかった。 
 イスラム教徒にとってのコーランの重みは、非イスラム教徒にとっては想像もつかない程のものでる。例えば彼等の中には、日本人が神社仏閣のお護りを身に着けるように、コーランのミニチュア本をお護りのように持って歩く人達がいるが、彼等はそのミニチュア本をトイレには絶対に持ち込まない。トイレは不浄な場所であるからである。その位コーランを神聖視し、大事にする。コーランを足で蹴ったり踏み付けたり、跨ぐのですら、わざとではなくてもとんでもない不信心な事となる。
 イスラム教には偶像がない。仏教徒が仏像を拝んだり、キリスト教徒がイエスやマリアの像を拝んだりするような事はない。その代わり、目には見えぬがアラーの神が全てであり、そのアラーの神の言葉を集めたコーラン絶対神聖なのである。そのコーランを燃やすと言う事は、イエスやマリアの像、或いは仏像を積み上げて燃すのと同等以上のイスラム教に対する侮辱である。かかる暴挙が世界中のイスラム教徒を憤激させる事は間違いない。だからと言って、普通のイスラム教徒が米国人や米国の兵士に直ぐに復讐する事はあり得ない。そういう事をするのは、一般のイスラム教徒とは異なるイスラム原理主義を信奉する一派の中の、反米テロリスト集団である。
 ここで、明確にさせておきたいのだが、一般のイスラム教徒は決して反米ではない。イラク侵攻の様な折には、西側の人間が当然と受け止めている程親米ではないが、彼等なりに極めて公平である。9・11事件が起きた時に僕はインドネシアに駐在していた。当然、周囲の人は殆どがイスラム教徒である。しかし、あの大惨事を見て「素晴らしい、良くやった」などと言う人はただの一人もいなかった。皆一様に、その惨事の余りの大きさに唖然とし、犠牲者を気の毒に思い、目に涙を浮かべてテレビを見ていたものである。イスラム教徒はああいう暴力を決して良しとはしないし、相手がアメリカであっても快哉を叫ぶ者など一人もいない。
 歴史の中では、最後の預言者モハメッドがユダヤ教徒に攻め込まれて、これを撃破した事がある。十字軍戦争のように、イスラムを駆逐しようとするキリスト教徒の攻撃を受けて、長い間戦争になった時期がある。しかし何れもイスラム教徒から見れば受け身の、生き延びる為の戦いであった。オスマン帝国が欧州に侵略した事があったが、それは帝国主義的領土拡張であって、イスラム教が教義を広めるためにキリスト教徒に戦争を仕掛けた訳ではない。イスラム教は基本的には好戦的な宗教ではない。むしろアラーの教えは正反対である。9・11事件を起こしたのはイスラム原理主義を信奉するアルカイダというテロリスト集団であり、一般のイスラム教徒ではない。しかるに、コーラン焼却は世界中のイスラム教徒を普く怒らせる。のみならず、テロリストに反米闘争の更なる口実を与える。そして再び米国を標的とするテロが起きれば、西欧とイスラム社会との互いの憎悪の連鎖は留まる処がなくなる。
 米国のように常識のレベルが低い国では、大統領からしイスラム教とテロリストを混同してしまうお国柄であるから、田舎の狂信的な牧師には何を言っても理解の埒外なのだろうが、世界中のイスラム教徒を敵に回す様な愚は米国政府として看過すべきではない。恐いのは、イスラム教を信奉する国には中低開発国が多いから、大衆が単純な事である。米国人がイスラム教徒とテロリストを混同するのと同じレベルで、イスラム教国の大衆も米国と、50人にも満たない過激クリスチャン・グループを同一視してしまうかも知れない。その結果は、図らずも米国がテロリストのリクルートに手を貸す事になってしまう。そして、テロリストには米国を攻撃する絶好の口実を与える事になる。それに続く対米テロ、米国の反イスラム感情の高揚、対するイスラム教徒の反米感情、反西欧感情の高揚、と悪循環になる。そうなれば、世界の二大宗教の間に取り返しのつかない溝を作ってしまう事になりかねない。
 米国政府は、何か口実を付けて掛る危険を孕む暴挙を強制的に止めさせるか、或いは警備の名目で外から見えないように抑え込んでしまうか、とにかく何らかの手段を講じるべきである。コーランが焼かれた時のイスラム教徒の怒りとそれに伴う感情的な反発は、我々淡白な日本人には想像もつかない猛烈なエネルギーとなるであろう。しかも、単純な大衆の怒りのエネルギーがどういう形で吐き出される事になるのか、僕には想像も付かない。