baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 日本人今昔(続)

 またインターネットが使えなくなった。前回は確か、尖閣諸島沖衝突事件の直後で、中国からのサイバー攻撃が憶測された時に同様な事が起きたように記憶するが、今回のトラブルは長かった。何時まで経っても復旧しない。プロバイダーの電話は、「我が家の周辺の一部で、インターネットが接続出来ない障害が起きているので現在復旧作業中である。ご迷惑をお掛けして申し訳ない」とテープで繰り返すのみである。想像に過ぎないがウィキリークスの支援者が何処か近くにいて、そこへサイバー攻撃が加えられているものか。今回の不具合は本当に長かった。お陰でブログが書けず、二日もお休みする破目になった。
 先日の「日本人今昔」を書いた後、読もうと思って買いこんで未だ読んでいない本の山から文芸春秋の七月号を引っ張り出し、藤原正彦の「日本国民に告ぐ」と言う短い檄文を呼んだ。藤原正彦という人はお茶の水女子大学の名誉教授で、どちらかと言うと右側の人であること位しか知らなかったのだが、かなり明快に昭和の歴史を断じている。「日本人今昔」を書いた時には未だこの檄文には片鱗にも触れていなかったのだが、この「日本国民に告ぐ」に書いてある昔の日本人の特質、現代の日本人の欠点、何が日本人をこうも変えてしまったのか、などについて僕が指摘した事と余りに多くの点で共通しているので吃驚した。勿論表現の仕方は異なるのだが、僕の見立ては、あながち独りよがりではなかったようである。
 一方で、藤原正彦は現在の日本の頽廃ぶりを戦後の米国の陰謀と決めつけている。この点については浅学な僕には反論するだけの材料はないのだが、かと言ってそのまま鵜呑みにするには少し抵抗がある。確たる根拠が無い感想を言えば、米国もそこまで深謀遠慮だった訳ではなく、単に自分たちの文化と伝統を押し付けたに過ぎないのではないか、米国人がそこまで頭脳明晰であろうか、という事である。同様、日教組についても舌鋒鋭く攻撃しているが、こちらについては全く同感である。現在の学童の学力低下や無気力、陰険ないじめ、等の諸悪の根源は日教組の責に帰するところ大である点については異論がない。その日教組ソ連コミンテルンの影響下にあったと言うのは知らなかったが、日教組が左翼思想にかぶれた売国奴集団である事は間違いないから、コミンテルンが背後にいたというのが真実なのかも知れない。だとすれば、弱体化したとは言えやはり今からでも日教組は解体すべきだと思うのだが。
 藤原正彦は言う。海外の学者が世界の文明を分類する時に、中華、ヒンドゥーイスラム、西欧、等々と同列に必ず日本を独立させるそうである。他の文明は全て複数の国に跨るが、日本だけは何処にも組みしない独自の文明と位置付けないと纏まりが付かないらしい。そしてその日本文明の特質は、他のアジアと全く異なる伝統と哲学を有し、飾り気のない質素な生活、貧しい中にも人々は平等であり、礼儀正しく、謙譲ながらも卑屈にはならず、家族、隣人、郷土を愛し、個よりも和を尊び、皆が幸せに暮らしていた事にあった。国土は自然に恵まれ、美しかった。その日本の近代化に際して各国からやって来た欧米人が、どうして日本人はこうも幸せそうに暮らし、子供たちの笑い声が絶えないのであろうかと、刮目したと言う。僕が「見栄や衒いがなく、大望を抱き、純粋に大志を育み、そこには私心が無かった」、「自身の物欲よりも国の為、同胞の為という理想に燃えていた」と書いた事と表現は異なるが共通する。
 更に藤原は言う。敗戦後の日本人は、米国と日教組の陰謀で日本を否定するような教育と、日本の美徳の根源であった共同体意識を崩壊させる個人主義を植えこまれた結果、何時までも戦争責任を引き摺って国には誇りを持てなくなり、社会への恩返しより自己の欲望の実現に走ってしまっていると。そして、改めて日本古来の伝統の良さ、欧米や中国にはない数千年の歴史に覚醒して、さらなる国家の高みを目指して奮起せよ、と叱咤している。僕が「日本人が日本人としてのアイデンティティを自覚する根源は、日本と言う国体なのである。それを否定すれば日本人は依って立つ礎を失い、本来持っている資質である纏まりや愛国心が同時に消滅してしまう」と述べたのは、正に同じ事を言いたかったのである。
 また藤原は太平洋戦争に突入した時の日本を取り巻く環境を分析し、それに基づく史観を述べている。この部分は、戦後教育を受けた我々には全く異質な分析なのであるが、我々が偏向教育を受けた為なのかも知れない。と言うのも、たまたま最近読んだ猪瀬直樹の「昭和16年夏の敗戦」で、こちらは当時の近衛内閣から東条内閣がどのようにして太平洋戦争へ突入して行ったかと言う道程を、時代考証を交えながら淡々と書いた小説であるが、異なる筆者が奇しくも同じ史観を有し、我々が受けた教育とは異なる史実を述べている。何れにしても戦争は許されざる蛮行であり繰り返されてはならないが、我々が受けた教育の様に、日本の軍部が一方的に悪者でアメリカが一方的な善、という解説には異口同音に真っ向から反論しているのである。
 確かに日本人は未だに近隣諸国からは非難を浴び、日支事変、南方侵攻、太平洋戦争は一方的に日本の軍部が悪かったと教育されているから、日本にも国歌にも国旗にも、どこか胸を張れずに生きて来た。新憲法日本民族自らの手による国体の擁護は放棄して、安全保障は米国の手に委ねた。これらの国策は確かに一方的にアメリカに押し付けられた考え方である事は論を待たない。戦争は絶対的な悪であると言う原則は変えてはならないが、そろそろもう一度昭和の日本の歩みを日本人として再考し、日本と言う国に誇りを持って21世紀の国創りをすべき時なのかも知れない。そうすれば自然と憲法改正にも繋がり、戦後100年を経て初めて近代国家日本の独立が実現するのかも知れない。現在の閉塞感はその為のバネなのかも知れず、ひょっとすると今がその好機なのかも知れない。。