baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 インドネシア近況

 僕がインドネシアに来たのと調度同じ日に、日本から米倉会長を団長とする経団連ミッションが入ってきた。飛行機が違ったので、実際には僕より2時間ほど早い到着であった。そして、大統領、副大統領を初めとするお歴々と精力的に面談し、多岐に亘る今後の日イ協力案件についての意見交換を行い、昨晩次の訪問地へと発って行った。
 インドネシアは元々親日的であり、エネルギーを初め資源が豊富な国なので、タイと並んでアセアンでは日本からの投資が突出していた国である。それが1997年の通貨危機に端を発し、スハルト独裁政権が崩壊し、その原動力となった民主化運動が行き過ぎた事などもあり、通貨危機以降の10年間にインドネシア経済は停滞してしまった。一方で、同じ時期に市場開放を掲げて打って出てきた中国の目覚しい経済発展があり、一時は日本の投資先は中国にほぼ集中してしまい、インドネシアは日本にも置き去りにされた感があった。しかしユドヨノ政権になり政情もやっと落ち着き、それに伴う経済発展が今や順調に軌道に乗ったと言える。他方の中国は急激なコストアップ、経済力が伴なうに連れ露骨になって来た覇権主義、それを証明するかのような尖閣諸島漁船衝突事件とそれに続くフジタの社員の報復逮捕、などで日本企業も中国一点集中のリスクに現実に目を開かされて来たこの頃である。インドネシアに取っては非常な追い風である。中国一点集中に常に警鐘を鳴らし、インドネシアは長いスパンで見れば安全な投資先といい続けてきたインドネシア・ロビーの僕には、嬉しい傾向である。再び日イ経済連携が順調に発展する事を祈るばかりである。
 そんな流れは僕の身近なところでも最近顕著である。これはインドネシアにとっては大変結構な事である反面、日本にとっては由々しき事態と言える。日本の新聞で記事になっている以上に、日本の企業のインドネシア進出は喧しいのである。この数日だけでも数件の新たな企業進出の話と、更には既存企業の追加投資の話を幾つか聞いた。何れも結構な投資額である。法人税を5%下げる程度の話では、日本の産業の空洞化はとても止まらないように見える。もっと本腰を入れた景気対策と対日投資促進策を早急に策定しないと、雇用の悪化、経済の低迷、税収の落ち込み、等には拍車が掛かる事はあっても到底止める事は出来ないであろう。
 昨日はインドネシアは祭日であった。預言者ムハンマドの誕生日なのである。ただ、イスラム教の行事はイスラム暦を使うので、毎年日が変わり僕たち部外者には何の日か何時もよく分からない。回りの人に何の休日か訊いても、イスラム教の人でも分かっていない事が多い。そんな事が一般的ではあるが、昨日は独立記念広場に10万人のイスラム教徒が集まり、又そう言う集会には参加しなくても家族ごとに、と言っても未だに大家族であるから優に数十人単位で、集まってお祝いをする日であった。
 イスラム教は日々の生活にまで細かい指示があり、宗教と言うのみならず生活の指針でもあるので、トルコの様な世俗主義は育ち難い。キリスト教のような「神」と「個人の心」との関係ではなく、アッラーと個人の約束事に加え毎日の生活にも規律が求められるので、隣人同士でも監視し易いし、宗教と生活が分離できない。決して異宗教の人間を折伏するような事はないが、イスラム教徒同士では毎日の礼拝、服装、男女関係、断食、など日々の生活習慣をお互いに見張り合っている処がある。だからムハンマドの誕生日のような祝い事も、単なる休日としてではなく宗教行事として脈々と生き続けている。
 こういう事実も、簡単に政教分離を成し遂げたキリスト教社会からは理解され難い点である。また、神の思し召しに事の成り行きを委ねてしまう処があるので、個々の判断力が成熟しないと言うマイナス面も否めない。同じ神の使いであるキリストとムハンマド、時代は800年程異なるが、場所もイェルサレムとメッカで然程離れていないのに、どうしてこうも異なってしまったのか。少なくとも敵対ではなく、理解し合い尊重し合う関係にならないといけないのだが、十字軍以来どうもそう簡単ではないようである。特段の宗教を持たない僕には、イライラの募る処である。