baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 農産物輸出と海外での農業技術指導

 インドネシアでスーパーを覗くと、この頃は色々な日本製の野菜が売られている。トマト、サツマイモ、人参、大根、白菜、キャベツ、等々である。これらは日本から輸入されたものではなく、当地で国際協力事業団の農業専門化が指導して、日本から持ってきた種子で栽培したものだそうである。見掛けも味も瑞々しさも、なにもかもが現地性とは桁違いであり、値段は高いが需要は旺盛だと言う。
 例えば人参、現地製は小さくて白っぽくて硬くてコスコスしているが、日本製は大きくて甘くて柔らかくて水っぽくて、色もしっかり人参色である。サツマイモ、現地性は色も白っぽいし甘味がまるでない。日本製は皮は紫、中身は黄金色でしっかり甘い。大きさも随分違い、勿論日本製の方が大きい。トマトも同様、現地製は小さくて皮は硬く、味も大したことはないが、日本製は大きくて水っぽくて味は甘味があって果物と称しても良い程で、見掛けは極めて器量が良くツヤツヤしている。最近ではこれらの野菜を買うのは日本人だけではなく、インドネシアの富裕層も好んで買うようである。
 一方、日本国内ではTPTへの加入と国内農業の生き残りが大きな議論になっている。TPTへの加入はもはや選択の余地が無い。従い焦眉の問題は日本の農業を、民主党が掲げている農家戸別補償と言うバラ撒きによる消極的、且つ永続性のない手段による延命を図るのではなく、如何に速やかに産業として自立し、永続的に発展する構造に転換させるかなのである。僕は農業には素人なので全くの放言しかできないのだが、それでも以前一度このブログに僕なりの提言を載せた。
 それとは別に、昨今の世の中の趨勢では日本の農産物の優秀性をアピールして、良かろう、高かろう、と言うコンセプトで国際市場に売り込もうと言う動きが出て来ている。これも前向きで、非常に良いアイディアだと思う。例えば冒頭のインドネシアの野菜でも、多少懐に余裕があり、一度でも日本製の味を知ってしまったら、値段の差にもよるがやはり日本製を欲しくなる人は少なくないのである。実際、そのぐらい味が違う。ところが、その優秀な日本の野菜を、国際協力事業団では無償で海外に技術移転している訳である。このままでは何れ、折角日本の優秀な野菜を輸出しようとしても、既に同質、或いはそれに近い野菜が日本よりも遥かに安い値段で海外で獲れてしまう事になる。しかもそれを後押ししているのが日本の政府で、そこには国民の税金が投入されているという事になる。
 別に海外の農業レベルを上げ、農民の生活レベルを向上させる事自体が悪い事だとは思わない。しかしそこには、これから日本の農産物を海外に高値で輸出しようかという動きが一方であるのに、それに頭から冷水をぶっ掛けるが如き動きを、これも日本政府自らがやっているという、とんでもない矛盾がある事に気が付いた。政府は一体どちらを今後の日本の方針とするのか、これ程の矛盾はないから二者択一するしか方途はないと思う。この問題を突き詰めれば、結局は政策論議がなきまま、天下り官僚がそれぞれ勝手に予算を確保して、表向きを繕う事業をやって自分の給料と居場所を確保しているという処に行き着くのである。勿論、ここでは国際協力事業団の全ての事業を否定するつもりは少しもない。
 新幹線技術が、日本からの技術指導で中国に輸出されたが、今では第三国で中国が日本の強力な競合先となっている。日本の新幹線と同じデザインの列車の写真を見せられて、日本の新幹線よりもスピードが速い、などと宣伝しているのをみると奇妙な心持がする。それでも工業技術は日進月歩であり、また一見同じものでも実際には微妙に品質の差があり、同じレベルのものは実は簡単には作れないと僕は思っている。車にしても新幹線にしても、技術移転すれば遅かれ早かれ90%か95%ぐらいまでは似たものが出来るが、最後の5%位の技術力の差はどうしても埋められないものだと思う。だから工業技術の輸出には、それ程神経質になる事はない。
 ところが農産物は、それ程には明らかな差がつけ難いと思う。つまり、農産物そのものの品質には埋められない差が例え残ったとしても、それが口に入って評価される迄には、気候風土、鮮度、料理法、味の嗜好、など様々な要素が重なる訳で工業製品ほど明確な差は出てこないと思うのである。それだけに、折角品種改良した農産物の種子やその栽培技術は、国策をしっかり定めた上で海外に持ち出さないと、気が付いたときには日本の農業の生きる道がまた一つ閉ざされている、と言う事になりかねないと危惧するのである。そんな事を考えさせる、インドネシアのスーパーの店頭であった。