baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 李明博大統領の竹島訪問

 韓国の李明博大統領が、日本政府の抗議を無視して竹島を突然訪問した。日本政府が韓国政府に嘗め切られている証に他ならないが、そもそも尖閣諸島での日本の巡視船に対する中国漁船と称する中国船の体当たり事件の際の菅直人仙谷由人全共闘政権が取った対応を見れば誰でも嘗めたくなる。現にロシアが突然北方四島の実効支配を強めたのも、あの事件がきっかけであるから、今回の件も弱腰外交であった民主党政権に責任の一半がある。
 この韓国大統領の暴挙に対して森本聡防衛大臣が、韓国の国内問題だと発言したと言う。森本聡に対しては、今まで無責任発言を乱発する民主党閣僚の中では筋が通っていると思っていたが、日本が領有権を主張している領土に外国の元首が自国領と称して上陸したのを外国の国内問題と発言するとは何事であろうか、僕も酷い思い違いをしていたものである。日本の、それも領土の保全を担当する閣僚がする発言とは信じ難い。大体どういう理屈なのか知らないが、以前にも当時防衛大学長であった五百旗部真や、同じく防衛大教授であった孫崎享竹島は本来韓国領であるとテレビで発言して驚かされた事がある。防衛省内部にはそういう歴史観があるのであろうか、或いは単にこの人達だけが思想が偏っているのであろうか。
 僕は以前から何度もこのブログで主張しているように、領土問題はハーグの国際司法裁判所で決着させるべきであると思っている。ところが中国にしても韓国にしても、日本の斯かる提案には一切耳を貸さずに一方的に自国領と主張して止まない。特に竹島に対しては韓国は既に守備隊を常駐させ基地化しているが、日本政府はそれに対して何ら具体的な行動は取らずに遠吠えを続けているだけである。竹島は1952年に、敗戦国の日本に対して李承晩ラインが一方的に設置された時に初めて韓国領と宣言された。その後に締結されたサンフランシスコ条約ですら、竹島は日本領と認識されている。
 尖閣諸島に到っては1971年に、国連による海洋資源調査で周辺に海底資源が眠っている事が明らかになってから突然、中国が領有権を主張し始めたものである。実際には両領土とも1905年に、時の明治政府が国際法に則ったしかるべき手続きを経て日本領と宣言したもので、当時は韓国は未だ日本には併合されていないから抗議する事は可能であったのである。その際に、日本はこれらの領土がどうして日本に帰属しているかを歴史的に実証しているから、少なくとも日本にはそれなりに筋の通った言い分がある。例えば日本人は江戸時代には既に竹島に上陸して小屋などを作っていたが、韓国人は一切上陸して来ず、単に航路標識程度にしか認識していなかったそうである。
 領土問題は双方に言い分がある訳であるから、第三者国際司法裁判所に判断を仰ぐのが一番公平である。ところが司法裁判所に持ち込むには、当事者両国の同意が必要なのである。日本はずっと以前から司法裁判所での決着を提案しているが、中国も韓国も司法裁判所に出れば自国が負ける事が分かっているから頑としてこの提案には応じない。要するに、僕に言わせれば両国とも日本が戦後弱腰なのを見越して、日本の領土を強奪しようとしている確信犯なのである。さもなければ司法裁判所の判断を堂々と仰げば良いのである。
 尖閣諸島に付いては石原慎太郎が東京都で個人地主から島を買い上げて日本の領土として保全するに足る最低限の施設を作ると言い出し、多くの国民から既にその資金として10数億円の寄付が集まっている。こうして、少し具体的な動きが見え始めていた処である。尖閣諸島には太平洋戦争が始る1940年までは、長年日本人が入植しており当時は既に民間工場まであったのだから、竹島以上に日本の領土である事は論を俟たない。その尖閣諸島に対しては相手が領土拡張に露骨な中国であるからやっと日本も少し本気になったのに対し、もっと露骨に占領されている竹島については少しも議論が為されないのが僕には不思議で仕方がなかった。小沢、鳩山、菅と言った朝鮮半島に頭の上がらない人達が政権中枢にいるからかとも推測していた。だから今般、こうして李明博大統領が竹島問題に火を点けてくれたのはむしろ好機到来であると思う。やっと世界の動きに疎い日本人にも、領土に対する危機感が多少は芽生えるのではないかと思うのである。
 この機会に、日本は従来の単なる抗議だけではなく、先日も書いたばかりだが今や海上封鎖をして韓国軍の不法占拠を干上がらせるしかないと思う。別に戦争をしたい訳では無い。ただ一方的に自国領土だと言い張るのを止めさせて、韓国を司法裁判所に引っ張り出すのが目的である。そしてもしハーグで日本が万が一にも負ける事があったら、その時は潔く諦めれば良い。しかし、結果がその逆であれば韓国には今後は一切口出し無用にして貰わねばならない。平和な世界を創ると言う事は、お互いにルールに則って棲み分けると言う事である。さもなければ、喧嘩が強い乱暴者だけが得をする世の中になり、戦争が絶えなくなる。