baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 波紋収まらぬ総理の靖国参拝

 安倍晋三靖国参拝してから既に二か月が経過せんとしているが、その波紋は一向に終息する気配がない。安倍の側近が輪を掛けて騒ぎを大きくしている事もあるけれど、今回は小泉純一郎の時と異なり少々海外が喧しい。勿論中国と韓国は毎度の事で辟易するが、今回は中韓に加えて欧米でも反響が従来にない大きさだと思うのは僕だけであろうか。
 一方で総理大臣の靖国参拝を支持する国民が半数近くに上ると言う世論調査の結果が報道されていた。この数字にも僕は疑問を感じてしまう。別に世論調査が操作されている、という意味ではなく、本当に半数近くの国民が支持しているのかがどうしても疑問なのである。中国、韓国からの執拗な内政干渉と捻じ曲げた歴史認識の押し付けに嫌気がして、中韓に対する反感から参拝支持に回っている声が相当数あるのではないかと疑うのである。実際、総理が靖国に行こうが行くまいが、消費増税などと違い今すぐ世の中が如何にかなるものでもないので、そんな中韓に対する憎悪からだけでも支持に回ってしまう事は十分に考えられる。更に言えば、総理の靖国参拝の問題は一部の極右や極左を除く大部分の国民には、中韓の干渉次第でどちらにでも転んでしまう程度の問題なのではないかと思えてしまう。勿論中国や韓国の横槍に気を遣う必要はないし、欧米からの批判にも即座に阿る事は無い。他方で、国会での安倍晋三の答弁を何度聞いても、僕は一向に靖国参拝が正当であるという気分にならない。何故なら、安倍晋三の答弁は常に「国の為に散った御霊に参拝するのであって、決して積極的平和主義に反するものではない」と言う趣旨なのだが、そこには如何して靖国なのかと言う答えは一切ない。
 僕は常々言う様に、国の為にと信じて、或いは当時の状況から已むを得ず、とにかく命を懸けて戦って斃れた人々を、或いは戦争の犠牲になった人々を慰霊する事は決して間違ってはいないし、むしろ一国の長として年に一度ぐらいは為すべき事だと思う。しかしそれが靖国神社である事には多大な抵抗を感じるのである。理由は僕とは少し異なるのは当然なのだが、結果としては昭和天皇も晩年は頑なに靖国参拝は忌避された。その伝統は今生天皇にも引き継がれている。神社の総帥たる天皇すら参拝しないと言うのに、どうして総理は靖国神社でなければならないのであろうか。少なくとも安倍晋三やその他の閣僚はもっと明確に何故靖国神社でなければならないのかを説明すべきである。恐らくは国民を納得させられる説明がないから、詭弁を弄して誤魔化すしかないのであろう。どうして僕がここまで靖国神社を嫌悪するかと言えば、靖国神社に隣接する遊就館を観たからである。遊就館を観れば、誰でも靖国神社の特異性を厭でも感じる筈である。遊就館は正に極右の展示場の趣で、その館内は、特に第二次大戦の展示場は異様としか言い様がない。
 安倍晋三は、私人として参拝したと屁理屈を押し通している。その影響ではあるまいが、最近はNHK会長やら安倍の補佐官などからも同じ台詞で自らの失言を正当化しようとする強弁が普遍化しつつある。しかし誰が考えても公人に私人としての社会活動などあろう筈がない。例えば、非番の警官や自衛官が軽犯罪を働けば、非番だったなどという事実には容赦なく社会的制裁が加えられる。勿論犯罪を冒したら国家公務員ではいられないからなのであろうが、しかし普通の国家公務員ですらそこまで日常の生活を律しられている訳である。ましてや総理が大勢のSPを引き連れて公用車で動き回って、「私人」ですなどお笑い種ではないか。3,000万円の給与から幾許かの玉串料をポケットマネーで払ったなど、屁の突っ張りにもならない。
 靖国神社が存続する事に僕は別段の異議はない。しかし、それは単に思想、宗教の自由は誰にでもあるからに過ぎない。一方で、前大戦の犠牲者を慰霊するには靖国神社は絶対に相応しくない。一国も早く特定の宗教に属さない慰霊施設を作り、誰でも気兼ねなく参拝できる場所にすべきである。その際に戦犯を其処に合祀するか否かの問題は残るが、個人的には戦犯は既に罪を購ったとは言う条、色々な国民感情からはやはり遠慮して貰った方が良いのであろうと思う。そうすれば天皇の参拝も復活するし、さしもの中国や韓国も流石にこれ以上因縁を付けるのも難しくなろうと言うものである。