baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 テロリストと対峙して〜日本の取るべき途

 今度はチュニジアで日本人3人を含む外国人観光客が21人もテロの犠牲になってしまった。丸腰の観光客を問答無用で射殺したと言う、許し難い凶行である。犯人はまたもやイスラムを名乗る組織のメンバーであるから、益々イスラム教に対する偏見が、欧米のみならず日本でも蔓延する事が危ぶまれる。日本では折から、集団的自衛権の拡大解釈で、自衛隊はこれからはより頻繁に海外に派遣され、しかも武器使用の規制も緩和されるから、海外での紛争に巻き込まれる危険も増大する。勿論邦人の保護の為の海外派遣に反対するものではないが、中東、北アフリカでのテロリスト組織との戦闘にだけはまともに巻き込まれる事は避けて欲しい。
 イスラム国に代表される欧米、中東、北アフリカイスラム過激派−イスラムと言う定冠詞を付ける事すらおぞましい、イスラムの原理原則からは懸け離れた集団なのだが−の由来を冷静に考えれば、そこに日本が欧米に組して共に戦う理由は微塵もないのである。彼の地の過激派テロ集団は、言ってみれば暴力革命を誹謗する共産主義者と同根の、社会からはみだした人間の反政府闘争であって、少なくとも今までの日本はそこには全く関与していないからである。
 何度かこのブログにも書いているが、欧州の先進国は第二次世界大戦後に労働力不足を補うために旧植民地から大量の労働者を受け入れた。如何いう訳か、それらの移民たちの大半はイスラム教徒であった。しかし戦後60年、それらの移民は底辺の労働者として貧困層を形成し、言葉や習慣の相違という障害もあって貧民屈に自ずと寄り集まってしまい、二世、三世は自宅の住所を言っただけで、或いは宗教がイスラム教であると申告しただけで、就職試験すら受けられない差別を受けている。女性が髪の毛を隠すためのスカーフを頭に被るだけで、道路で暴行を受けてしまう。スイスではミナレットの建造を禁止され、フランスでは公共の場でスカーフを被る事は禁じられてしまった。人種差別を禁じられている欧米では、宗教差別が人種差別の逃げ道になっている。
 日本に入ってくる過激テロリストの欧州での活動のニュースは100%欧米経由のニュースであると言える。上記の如きイスラム教に対する偏見に満ちたキリスト教社会の欧州、シオニストを無条件で支援し、国連で欧州諸国ですらイスラエルのガザでの暴虐を規制しようとするのを問答無用で拒否権で抑え込む米国、石油という天然資源を一部の王族や権力者の間だけで分かち合い庶民には一切その恩恵が届かない中東・アフリカ諸国の現政権に対する失望、これらに対する行き場の無い怒りがテロリストを醸成している現実を見誤ってはならない。一言で言えば、暴力的反政府闘争に過ぎないのである。そういう本質的な事が見抜けない単細胞の米国は、徒に政府側に、或いは権力側に入れ込むから反政府暴力集団に敵扱いされてテロを仕掛けられてしまう。その報復に一般市民や婦女子をも巻き添えにする爆撃をしたりするから、益々反米感情を煽ると言う悪循環に陥っている。
 先般フランスで新聞社がテロリストに襲撃されて12人の犠牲者が出て大騒ぎになったが、イスラエルは昨年、ガザに国連が建てた学校を爆撃して子供を主とする63人の犠牲者を出した。しかし、フランスのテロリストは日本でも酷く糾弾されたが、その何増倍も酷いテロを働いたイスラエルに対しては殆ど非難の声は上がらなかった。これが日本の中東での事件、テロリストに対する無意識の偏向なのである。日本のメディアは殆ど無条件に反面調査もせずに、更にはキリスト教社会・米国・イスラエルと、それに対するイスラム社会の間の本質的な確執を知らずに、安易に欧米のメディアの報道を鵜呑みにし過ぎている。因みにイスラエルにいるユダヤ人と米国にいるユダヤ人の人口はほぼ同じである。しかも米国の富裕層の20%はユダヤ人である。それが故に米国は政治家の打算で無条件にイスラエルを支持しているに過ぎない。そのイスラエルは、実はイスラム国と五十歩百歩のテロリストである事を忘れてはならない。
 勿論テロは許されざる犯罪である。しかもイスラムの教えとは全く相容れない。無意味に無実の人間を虐殺し、奴隷制度を復活させ、女子供を陵辱し、爆弾を抱えて自殺したりすることはクルアンの世界とは懸け離れている。そんなテロリスト達を制裁する事に全く異論はないのだが、そういうテロリストを醸成してしまった欧米社会とは全く異質の世界にいる日本は、安易にそれらのテロリスト掃討作戦に手を貸すべきではない。その地での戦闘には、決して集団的自衛権を発動してはならない。同時に、以前にも書いたが、外国人、外国文化、異宗教に殆ど免疫の無い日本には、安易に外国人労働者の移住を許すべきではない。21世紀後半に、現在の欧州と同じ悲劇を起こさない為に、外国人の受け入れには慎重の上にも慎重を期すべきであると確信しているのである。