baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 田村亮子と小沢一郎に見る、引き際

 柔道の田村亮子が突然現役引退を表明した。柔道一筋で強かった時は応援もし、またその精進ぶりには感心もしたものである。結婚しても柔道を止めずに日本の柔道界を引っ張り、何時までも第一人者で居続けた柔ちゃんを凄いとも思った。
 しかし、何事にも引き時がある。出産して稽古不足になり、オリンピックで3位に甘んじても尚ロンドンを目指すと言い出した頃から少し何処かがおかしくなり始めていた。もうそろそろ後進に道を譲っても良い頃だと思えた。それでも未だ、飽くなき勝負への執念を、手放しとは行かぬまでも一方では応援していないでもなかった。
 それが参議院選立候補で、僕の中では彼女のイメージは完全に崩れてしまった。あろう事か小沢チルドレンになると到っては、呆れ果てて開いた口が塞がらなかった。鳩山由紀夫率いる、歴史上最悪の迷走政府崩壊直後の選挙だったから尚の事、本当に何か政治的な信念があるのか訝しかった。しかも、議員とロンドン五輪を両立させると言い出すに及び、頭の中には柔道と筋肉しか詰まっていない事が分かり、実にがっかりさせられた。今まで柔道しかしてこなかった若い人が、そう簡単に政治が出来る筈がない。しかも柔道の稽古の片手間に政治をやると言うのである。そんな事が無理である事も分からない程、世間知らずの馬鹿だったのかと失望した。民主党の代表選で、小沢一郎の支持者の決起集会でウロウロとしている様には、国際大会で堂々としていた柔ちゃんの面影はもはや影も無かった。
 馬鹿と言ってしまえばそれまでだが、それにしてもあれだけ柔道が強かった人が本当にそれ程馬鹿だとも思えない。どこで判断を誤ってしまったのか、世間を甘く見てしまったようである。周囲の大人にも問題があったのであろう。ご亭主も野球選手だから、余り世間をご存じないのかも知れない。それにしても、イメージが壊れてがっかりした人は多い筈である。
 そんな、道を誤らなければ柔道の女神のようにもなれた人を、単に議席を一つ増やす為だけにただのタレント議員にしてしまった小沢一郎が、検察審査会の起訴議決の取り消しなどを求めて国を提訴したそうである。この人は、結局は言っている事とやっている事がまるで矛盾している。代表選の時は国会喚問にも、呼ばれれば応じて説明を尽くしたい、と殊勝な事を言っていたが、今は与野党の意見が完全に一致したらなどとありそうもない条件を付け、さらに輿石東のような提灯持ちをして、裁判の場で決着が付けられるのだから国会喚問は不要と必死に言わせている。
 全ての違法行為はすべて秘書の所為にして、自分は知らなかった、自分に罪はない、潔白であると常に言い続けているが、本当に潔白なら何処へでも正々堂々と出てきて、本当に潔白を証明すれば良いだけの話である。それが恐くて出来ないと言う事は、要するに脛の疵が痛くて仕方が無い証拠である。検察は疑わしきは罰せずの原則に則り、有罪を立証するだけの証拠が揃わなかったとして不起訴処分にした訳だが、逆の言い方をすれば不十分ながらも証拠はあった訳である。実際、陸山会土地転がしや水谷建設献金問題は不可解な事だらけで、訊いてみたい事は山ほどある。それだけに小沢にしてみれば、国会の証人喚問などで、偽証が罪になる場で、痛い処を追及されるのが余程厭な様である。そうでなければ、自分の政治生命をも賭して何時までもこんな「政治とカネ」問題を引っ張る筈が無い。さっさと片付けてしまい、後顧の憂いなく政治に専念するに越した事はない筈である。
 人間は常に引き際が肝心であると思う。幾ら全盛時に数々の金字塔を打ち立てても、いざ引き際を誤れば世間から後ろ指を指される事にもなりかねない。田村亮子は完全に道を踏み誤ったものだが、小沢一郎の場合は田村亮子ほど単純ではないものの、もういい加減に権力にしがみ付くのを諦めて、上手な退場の花道を作ればここまで世間に嫌われる事もなかったであろう。もっともお縄になってしまえば元も子も無い訳で、じたばたせざるを得ないのも分からないではないが。有名人に限らず、僕等庶民も常に美しい引き際を考え、そのタイミングを誤らないようにしたいものである。引き際の美しさで、その人の人生の価値が倍半分も違って来るような気がするのである。