baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 一向に審議が進まないTPP

 TPP承認案、関係法案の審議が野党の審議拒否により4日間空転した。やっと審議再開の目途が立ったらしいが、相変わらず野党は交渉経緯の開示など、無理な注文を付けて審議の実質拒否を目論んでいる様である。
 そもそも交渉というものはその過程では恫喝、泣き落とし、嘘、はったりとありとあらゆる手練手管を駆使して少しでも自分たちに有利な結論に導こうとするのだから、その過程での遣り取りを開示する事は全く無意味と言える。増してやそれが多国間交渉となれば、夫々の国内事情もあり、その交渉過程が直ぐにも開示されてしまう様な国とはまともな交渉は出来なくなるから、政府も野党の要求には応じられる筈がない。元々審議を遅らせる事が目的の為にする要求とは言え、余りにも幼稚な要求と、それに続く重要法案の審議拒否には愕然とする。
 社民や共産の如く国の転覆が最終目的の政党には何も期待しないが、せめて民進党にはもう少しもう少しまともな国会での討論を期待したいのだが、、民進党国会対策委員長があのバカ安住では致し方ないのかも知れない。元民主党の議員には鳩山、菅を初めとして枕詞に馬鹿が付かない議員を探す方が難しいが、中でも安住淳は極め付き馬鹿の一人であった。民主党政権下、折からの円高に日本経済が打ちひしがれていた時に、財務相をやっていた安住は何をとち狂ったか為替介入の目安となるレートを公言してしまい、あっという間に円が買い進まれてしまった曰く因縁付の馬鹿なのである。そのバカ安住が、飽きもせずに交渉時の情報開示を求めている。
 人材不足、経験不足の民主党は、民主党に不満を抱いて飛び出した裏切り者などを再び迎え入れて「民進党」を発足させてはみたが、政党の財産である人材に目新しい変化がある訳でもなく、やはり昔のままの人材不足、経験不足はそのままの様である。これではとても政権運営を任せられるものではない。自民党一党独裁は危ういが、それでも自民党に頼らざるを得ない、情けない日本の現状である。しかしTPPに限って言えば、TPPの合意事項は既にはっきりしているのであるから、徒に時間を浪費することなく、早く合意事項について真剣な議論をして欲しいものである。合意に至る交渉過程など、今となっては全く審議対象とは成り得ない事は些かも論を俟たない。

着地点の見えない沖縄県知事の暴走

沖縄県知事翁長雄志の暴走が、止まるどころか益々激しくなっている。沖縄の米軍基地の必然性については、僕は何度か本ブログに書いているので今更繰り返さないが、昨今の翁長雄志はまるでインパール作戦を率いた牟田口廉也の如き狂乱ぶりである。そこには長として全体像を俯瞰する器量は微塵もなく、勝利への目算も全くないまま単に猪突猛進、徒らに消耗を重ねているだけである。もはやその頭からは、世界一危険な普天間基地の移転という目的すら喪失してしまっている様に見受けられる。ここまで政府に逆らってしまった挙句に、例えば振興費を削られ、基地交付金を削られ、それで沖縄県民全体に責任が取れると言うのであろうか。実際これだけ政府の政策に逆らうのであれば、納税者の末席に名を連ねるだけの僕でも、我儘放題の沖縄ではこれ以上貴重な税金を無駄遣いしないで欲しいと思う。年間900億円になんなんとする基地借地料はともかく、沖縄振興と称して投入される年間3300億円もの税金は果たして妥当と言えるだろうか。
県知事という、沖縄全土を司る立場にあるのだから、沖縄県内にある様々な声を汲み上げて最大公約数で纏めて行くのが翁長雄志の仕事の筈である。にも拘らず、その辺野古の地元、名護市にすら移設容認を掲げる自治体が3区もあること、或いは辺野古では実は7~8割の住民が移設容認派であると言われている事、沖縄では軍の求人には通常20倍もの応募がある事、などはひたすら無視して辺野古移設反対一辺倒では沖縄県の長とは言い難い。容認派は金に釣られていると言う声がある。しかし日本一失業率の高い沖縄の中でも地元の産業に乏しく、税と交付金だけでは苦しい自治体が、控えめに容認と言いながら実際には基地に来て貰って地元の雇用を増やし、地元企業や商店の売り上げを増やし、更に政府から基地交付金を貰いたいと言う本音があっても、それが現実であればそれはそれで良いではないか。しかも辺野古移設反対派の多くは、実際には辺野古から山を挟んで反対側に10km以上も離れた名護市中心部の、多くは基地とは関係のない生業を持つ住民で、基地の騒音被害をまともに受ける辺野古の住民の声ではないとも聞く。
とに角翁長からは、県の知事として何処を着地点としているのかが全く見えて来ない。唯々辺野古への移設反対と言う、勝ち目のない喧嘩に突き進んで徒らに興奮しているだけなのである。本来政治家であるなら、反対運動をカードとして出来る限り有利な条件を政府から引き出し、結果として普天間基地は返還され、沖縄の基地負担も徐々に軽減され、更に沖縄全体が底上げされる様な結論に持って行くべきなのだが、翁長にはもうその冷静さは期待できない。狂気の塊と化して自説を一方的に主張するだけで、そこに解決に向けた話し合いの余地が少しもない翁長を見ていると、全く非生産的であった70年代の全共闘を彷彿とさせる。沖縄県民も、とんでもない知事を選出してしまったものである。可笑しな選挙結果と言えば、名護市長に選出された米軍基地反対派の稲嶺進も、キャンプ・ハンセンの土地の一部返還には反対していると言う。理由はその土地から上がる年間1億3000万の借地料が市に入らなくなるからだと言うからいい加減なものである。そして、今日の辺野古移設の混乱を招いた元凶、史上最悪の痴愚・狂気・妄言宰相であった鳩山由紀夫もまた、可笑しな選挙の産物であった。

 今年のバリの写真

 バリから戻ったら翌日には写真を掲載しようと予定していたのに、結局は一ヶ月近くも経ってしまった。我ながらいい加減なものである。


 今年はホテルの目の前に写真の大型客船が停泊していた。よくは分からないけれど、5万トンは下らないと思われる豪華客船である。

 見た目よりも遥かに沖合に停泊しているので、沖へは行かせて貰えないレンタル・ジェットスキーで接近するのは無理なのだが、珍しい景色なので僕のジェットスキーの背景になる様な写真を撮って貰った。午後は何処かへクルーズに出たのか姿を隠していたが、夜になったらまた僕のホテルの前に戻って来た。三日目に次の寄港地へと出航した様である。

 バリのこの季節は、何時でも晴れていて、しかもオセアニアからの涼しい冬風が一日中吹いているので快適この上ない。何の変哲もない景色も、何時見ても飽きる事はない。

 昨年末に新しくリッツカールトンがオープンしたと聞き、見物に行った。リッツカールトンは以前にも別の場所にあったのだが、或る時リッツカールトン本社とバリのリッツカールトンのオーナーが喧嘩をして、旧いリッツカールトンはアヤラ・ホテルと名前を替え、今のリッツカールトンは何もない処に出来た新築ホテルである。敷地内の高低差が57mもあるそうで、ロビー階から見ると、見渡す限りリッツカールトンなのである。

 余りに広いので、敷地内を電動バギーが走り回っている。ロビーから海辺へ行くのに、57mエレベーターで下りてから数百メートル歩かなければならないのだから、電動バギーに乗りたくなるのも致し方ない。一番高い部屋は一泊9,000米ドルだそうである。ホテルのスタッフは「日本の方も結構お泊りです」と言っていたが、一週間いたら部屋代だけで800万円、どんな人が泊まるのだろう。

 犠牲祭の日には、ホテルの近くの空き地に大勢のムスリムが集まって礼拝をしていた。バリにも随分ムスリムはいる様で、こんな場所がヌサドゥアが属する郡だけで9か所用意されていると聞いた。

 今年は、ハンドタオルで作った可愛い人形が部屋に置かれていた。今までは無かったもので、日本人スタッフが教えたものであろうか。ホテルのマスコットのサルと並べてみた。このサルはチェックアウトする時に貰えるので、日本に持ち帰って近所の小さい子に上げると凄く喜んでくれる。

 これは海から太陽が顔を覗かせた時の風景である。バリはジャカルタから1時間時差がある。所謂中部インドネシア時間の最西端に位置しているので夜明けは遅く、7時近い。それが僕でも朝日の写真が撮れる理由である。奥が海、手前はホテルのプールである。

名残り惜しいバリを後に

今、ジャカルタの空港のラウンジに居る。マイレージで切符が貰える日本の航空会社に、ここ数年バリからの直行便がないので、ジャカルタ乗り継ぎでこれから日本に戻るのである。もう少しバリにいたかった。期限があるから名残り惜しくなる事は分かっている。分かってはいるが、でももう少しバリにいたかった。
今年のバリは例年になく賑やかだった。ヌサドゥアにある、沢山のレストランや店舗が並んでいる広大なショッピングセンターも夜遅くまで人出が絶えない。そのショッピングセンターがヌサドゥア域内で運行している無料シャトルバスは、昨年は終バスが8時だったのが今年は10時になっている事からもその賑わいが分かろうと言うものである。客が多いから、レストランも今年は総じて美味しくなっていた。去年は結構当たり外れのあったレストランが、今年は一軒を除いて全て当たり、それも大当たりであった。
その賑わいを良く見てみると、白人と日本人にはそれ程人出が増えたと言う印象はない。しかし中国人とインドネシア人が明らかに昨年より多い気がする。日本に限らず中国人の海外旅行はここバリでも間違いなく増えている。そして同じく明らかに増えているのが、地元の若いインドネシア人の家族連れである。インドネシア中産階級が増えたのに伴い、小金持ちが着実に増えているのであろう。ただ、残念ながら中国人とインドネシア人が増えた分、公共の場でイライラする事も間違いなく増えた。両方に共通するのが子供の躾の悪さである。インドネシア人と言っても中国系が多いので、ある意味根っこは一緒なのかもしれないが、とにかく子供は甘やかされていて行儀の悪い事この上ない。ついつい怒りつけたくなるが、親と喧嘩になるのが面倒なので必死に我慢する。
そして中国人は、子供だけならまだしも親の行儀の悪さも半端ではない。流石にインドネシア人は、インド系を除けば、概して親はそこまでではないのだが、明らかに大陸から来ていると見受けられる中国人のマナーは酷い。静かなレストランで、遠く離れて大声で話すし、 ビュッフェの食べ物の前に立ちふさがって長々と立ち話、他人の食事中のテーブルのすぐ横で大声で立ち話、列は守れないし全てに傍若無人なのである。そばにいると腹が立つからなるべく離れている方が良い。
最近は出掛ける時にはPCではなくiPadを使うのだが、僕のiPadにはSDカードのスロットが見当たらず写真が取り込めない。カメラにWi-Fiは付いているのだけれど、そっちはそっちで使い方が分らない。と言う訳でここ数日写真が無いので、明日は写真を公開する予定としよう。お楽しみに。

インドネシア近況(II)

先日仕事でバリに来た日本人に付き合って一日仕事をしたのだが、その人に「休みの間は、一体毎日何をしてるんですか?」と尋ねられた。「毎日、昼間からビールを飲みながら本を読んだり昼寝をしたり、何もせずにゴロゴロしてます」と答えたら、そんな退屈な生活は自分なら気が狂うと呆れられた。でも僕は生来怠け者に出来ている上に、今時分のバリは頗る過ごし易いのである。冬のオーストラリアの、冷たく乾いた空気が海を渡ってバリに着く頃には程よく温まって、快適な風となって朝から晩まで吹き続けてくれるから、昼間は30℃を超える暑さでもそれ程暑くは感じない。毎日紺碧の海を眺めながらゴロゴロと、もう今日で丸一週間になるが、退屈どころか帰国が近ずくにつれ日々帰りたくないと言う思いが募って来るのである。
今日は犠牲祭である。インドネシアには大きく二つのイスラム団体があり、そのうちの一つは昨日を犠牲祭としているが、大きな方の団体と政府は今日を犠牲祭としている。シーア派スンナ派程の違いはないのだが、何が如何違うのか良くは知らない。けれど、少なくとも暦の数え方は常に一日ずれる様である。僕のいるヌサドゥア地区でも今日は犠牲祭の集まりがあり、朝から広場に大勢の地元民が集まっていた。バリではムスリムは圧倒的少数派なのだが、一同に会すればやはり相当な人数である。とは言え異宗教間の抗争の話は聞いた事がないから、バリでは上手く融和しているのであろう。今日はヌサドゥアの属する郡だけで105頭の牛と281頭の山羊が供えられると言う。その後解体された肉は貧困者に配られる。竹籠にバナナの葉を敷いて配られる肉は、一様に一人当たり2.5キロづつだそうである。
ジョコウィ大統領が10月26日に訪米してオバマと会談する事が昨日決まった。今は習近平が訪米中だが、米国がアセアンに気を遣っている表れである。米イ間の懸案として最近必ず出て来るのは中国の南シナ海での活発な動きと二酸化炭素排出を主とする環境問題である。更にインドネシアには野焼きを主原因とする森林火災とそれに付随する近隣諸国への煙害問題もある。インドネシアでも煙害は甚大で、今日から西カリマンタンの空港が閉鎖された。ジョコウィは数日前に、野焼きで耕作地を開拓した企業は数年から無期、営業停止にすると発表したところである。
ジョコウィのこの一年を見ていると、従来の大統領よりは随分中国寄りに見える。それが支持団体の闘争民主党の圧力によるものなのか、或いは実業家肌のジョコウィの算盤勘定の結果なのかは分らない。しかし幾らインドネシアが発展して来ているとはいえ、未だ中国の前では一溜まりもないのだから、決して油断する事のない様米国にはしっかり釘を刺して貰いたい。特に日本のシーレーンの真ん中に位置するスプラトリー諸島に中国が一大軍事基地を作っている事には、アセアンの盟主としてもっと明確に非難して欲しいのだが、どうもインドネシアは声が小さい。この際オバマには、中国と適正な距離を保つ様、そして従来の親日路線を更に発展させる様大いに発破を掛けて欲しい。ジョコウィが親日路線を発展させても、彼が大統領に選ばれる原動力となった一般国民の支持が離れる事は決してないのだから、中国には毅然として欲しいものである。

インドネシア近況

実は15日からインドネシアに来ている。先週はジャカルタに所用があり、それを済ませて週末から年に一度のバリ休暇でバリにいる。明日はイスラム教の犠牲際である。ヒンズー教徒が主流のバリでも、少し郊外に出ると小さいながらも牛や山羊の市場が立っている。隣接するジャワ島などからイスラム教徒が移住して来ているからである。
ジャカルタでは、MRTの工事が順調に進んでいる。目抜き通りに沿ってジャカルタ中心部をを南北に縦断する、インドネシア初の都市交通システムは政治的思惑や汚職疑惑が絡んで、構想から工事開始迄に四半世紀もの時間が掛かり、紆余曲折を経て昨年やっと日本の融資と技術で工事が始まったものである。当初は目抜き通りの交通渋滞が益々酷くなると危惧されたが、日本の建設技術とジャカルタ市の巧みな交通行政が合い俟って、交通渋滞はむしろ以前よりも緩和した様にも思える。そのMRT工事の地下鉄部分の工事が昨日、大統領の立会いの下に始まったと言う。取り敢えず一台目のトンネル掘削機が昨日動き始めたそうである。来月には現在組み立て中の二台目の掘削機も投入される予定である。何事も予定通りには進まないインドネシアでも、日系企業の手に掛かるMRTは予定通り2018年に開通するであろう、そして日本が作るのだから乗っても安全であろうと言うのが大衆一般の期待である。裏を返せば、もし中国が作るMRTなら怖くて乗れないと言う事なのである。先日結論が先延ばしされたジャカルターバンドンの新幹線にしても、僕の会った人は異口同音に、中国に決まらなくて良かった、中国が作る事になったら乗る人はいなくなる、と言っている。事程左様に一般人の間では、日本と中国に対する信頼感が異なるのである。
本ブログに以前から何度か登場している汚職撲滅委員会(KPK)の職権を制限しようと言う法案が国会に提出されたらしい。KPKは汚職に関わる捜査から起訴までの全ての権限を与えられた大統領直轄の独立機関として2002年に設立された。その威光には文字通り泣く子も黙り、官公庁でも国営企業でも幹部は誰でも脛に傷があるから、KPKを怖れて誰も決済しなくなり、国家予算の消化も遅れがちと言う弊害はあったが、汚職なしでは何事も動かないインドネシアでは汚職に関係の無い庶民は、KPKの誰をも恐れぬ徹底した汚職追求に快哉を叫んでいたものである。そのKPKから捜査権と起訴権限を取り上げてそれぞれ警察と検察に権限を戻す、と言う法案だと言う。やはり日頃からKPKが怖い政治家が警察と結託しているのは明白である。
公務員や政治家に限らず、警察も検察も裁判所も汚職まみれで、正義や法の執行など望むべくもないインドネシアであるから、KPKが上からは疎まれ下からは拍手喝采を浴びるのも当然であった。そのKPKに逆風が吹き始めたのは、2013年に警察の大物を摘発してからである。日頃からKPKを目の上の瘤と欝陶しく思っていた警察は、ここぞとばかりにKPKに対する反攻を始めた。KPK幹部の不正を暴き、事件に仕立て上げ始めたのである。理由は女性問題であったり職権乱用であったり色々だが、報復の色合いが濃い事は否めない。これに対しKPKも益々警察幹部の汚職を厳しく追求し、ついには今年に入り警察軍の総司令官を起訴するに及び大統領が割って入る事態にまで発展した。確かに警察の汚職体質は上から下まで目を覆う酷さだが、「水清きに魚住まず」の伝統文化を撲滅するには100年は掛かると言うのが日頃の僕の持論なので、KPKも余り功を急げばしっぺ返しを受けるのは前から予想される事ではあった。個人的にはKPKの職権は従来通りであるべきだと思う。KPKを骨抜きにしてしまえば、折角の反汚職の動きに水を注されてしまう。

安保関連法案成立

安保関連法案が、国会の大混乱を経てやっと成立した。参院特別委の終盤はもう国会の体を成していなかった。野党議員が委員長を取り囲んで議事進行を妨害し、与党だか野党だか知らないが、委員長を取り囲む野党議員の上に飛び乗る議員の様はまるで高校の運動会の棒倒しを彷彿とさせた。かと思えばただ採決を遅らせるだけの為の2時間近くにも及ぶ枝野民主党幹事長の冗長な演説、福山幹事長代理の時間を無視した意味をなさない長広舌、そもそも間違って代議士になってしまった山本太郎の(蝸)牛歩、何れも採決が阻止出来る訳でもないのに、議会ルールを無視した全く無意味な時間とエネルギーの浪費であった。こんな体たらくだから与党も野党も目糞鼻糞、強行採決も何もない。
衆参合わせて200時間以上審議したと言う。しかし与野党とも初めから結論ありきだから議論にならない。終盤には国会の外では連日の反対デモだったが、そのスローガンが「戦争反対」「子供を守れ」では鼻白むだけである。集団的自衛権が認められても即戦争になる訳ではなく、戦争抑止力が増してむしろ戦争が起き難くなる訳だし、増してや徴兵制導入でもないのに「子供を守れ」とは支離滅裂も甚だしい。こういうデモには必ず裏にプロの扇動者がいるものだが、今般のデモも例外ではない。彼等の常套手段は支離滅裂なスローガンで民心に不安を煽るのである。そもそも僕が不思議で仕方がないのが、国会の質問に際して共産党がしばしば暴露する、省庁や自衛隊の内部資料がどうして問題にされないのかと言う事である。今回も自衛隊の内部資料が追求されたに対し、中谷防衛相がまともに応対していたが、内部資料を共産党が持っている事自体合法的である筈がない。裁判であれば非合法手段に基づく証拠は採用されないのに、何故国会では問題にならないのであろう。入手経路を明らかに出来ない資料は、捏造と決めつけて相手にする必要はないと思うのである。まぁ、不思議を言うなら、共産党社民党民主党も一部当て嵌まるが、外国の傀儡政党が国会に議席を持っている事以上の不思議はないけれど。
世界第二位の軍事大国であるロシアと第三位の中国に隣接するにも拘わらず世界第九位の軍事力しか持たない日本は、竹島の例を引くまでもなく自力では自国を守れないのだから米国の傘下に入るしかない。米国がいなければ尖閣諸島など唐の昔に中国に実効支配されていたであろう。その米国がいざという時には日本の為に血を流してくれるのに、日本は知らぬ存ぜぬでは済ませられないから、集団的自衛権を発動出来る様にしておかなければならない事は自明である。ただ、今般は与野党間にまともな議論がなかったから止むを得ないが、今後はもう少し議論を重ねて内容の精緻化を図る必要がある。例えば以前本ブログに書いたが、徒らに中東の紛争に首を突っ込めない様にする事は重要である。中東では日本と米国は歩を異にするのだから、安易に米国に追従してはならないのである。その為には、外国の傀儡政党は論外だがせめてそうではない野党には、「憲法違反」「集団的自衛権反対」一辺倒から卒業して貰う必要がある。
また、憲法の改正を経ずして安保関連法案を成立させた事に無理があるとは僕も思う。終戦直後の異常な時期に米国に押し付けられた、改正の条件が極めて厳しい憲法であるから、世界情勢の変化に伴って今回の様な強引な法改正をする事も止むを得ないとは思う条、戦後70年を経ても未だに手が付けられない憲法は、もう少し簡便に変更出来る様にする必要がある。安倍政権に次に望むのは、憲法改正をもう少し簡単にする為の憲法改正である。そうしないと日本は世界に取り残される。