baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 中秋の名月

 今年は今日がお月見の日である。残念ながら雲が厚く垂れこめていて月明かりすら全く分からない、蒸し暑い夜になってしまった。賑やかな虫の声だけが、かろうじて秋の風情を思い出させてくれる。
 僕が子供の頃は毎年、この中秋の名月の夜には母親が縁側に小さなテーブルを出して白い布を掛け、花瓶にススキを挿し、白玉団子をお皿に盛って、家の電気を消して家族でお月見をした。茹でた栗を添えてあった事もある。家の電気を消せば空は暗く、晴れていれば無数の星が煌めき、心は空想の世界に飛んで行ったものである。あの頃はススキは未だ都内でも探すのに苦労はなく、近所の空き地ででも小学校の校庭の隅ででも幾らでも取れたが、そういえば今はススキも買わなければ手に入らなくなってしまった。
 思い返せばあの頃は小学校の校庭の隅の方はまだ草ぼうぼうで、そこに草を縛った罠を沢山拵えて、友達を転ばせたり、バッタやコオロギ捕りをして遊んだものだ。今の学校は整備されてしまっていて草の罠なんかは都会の子供は知らないであろう。
 家の近所の空き地でキャンプした事もある。住宅街の狭間にもまだ、だだっ広い空き地があったものだ。夏休みになるとそこに同年輩の子供が5〜6人集まって、木端を拾い集めて焚火をし、父親が戦地から持ち帰った飯盒でご飯を炊き、缶詰を開けて分けあって食べたりした。子供だけで焚火をさせて貰えたのだが、今思えばきっと親が何処かで見張っていたに違いない。藪蚊も沢山いたから定めし難儀な事であったろう。
 だが、子供からは回りが見えない程草の背丈が高かったのだが、だからと言って別段犯罪があった事もない。今なら危なくて、そんな空き地はとても放ってはおけないだろう。草の生い茂る空き地どころか、道路に街灯がなければ痴漢やひったくりが横行してしまう昨今である。いや、街灯があってすらである。この半世紀で環境は一目瞭然に激変しているけれど、一体人間の何がこんなに変わってしまったのだろうか?
 月も出ていないのにじっと空を見上げていると何となく心が澄んでくるような気がする。そして昔を想い出す。昔を想い出すのは歳をとった証拠だと思うし、実際もうお世辞にも若くはないが、こういうきっかけに昔を想い出すのも時には良いと思う。懐古趣味というのではなくて、慌ただしい毎日の中でちょっと立ち止まって静かに物思いに耽るのである。