baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 不思議な国、インドネシア

 先日インドネシア特有の板金について書いた。実は板金だけではなく、他にもインドネシアには不思議な事が多い。一言で言ってしまえば、霊が沢山住んでいるみたいだ。
 先ず、お化けが沢山住んでいる。お化けには、やはり暗い場所が沢山あり、お化けの存在を信じてくれる人が沢山いないと住み難いようだが、インドネシアにはその両方が揃っている。ジャカルタと雖も例外ではない。東京などは逆にどちらも揃っていないから、最近はとんとお化けの話は聞かなくなった。インドネシアには未だにお化けがよく出る。
 ジャカルタの或る五つ星の大きなホテルの地下駐車場の男子用トイレに一時女性のお化け、というか憑依霊と言った方がより正確なのだが、が住んでいた。気を抜いて小用を足していると取り憑かれてしまうから、気を張って用を足さなければいけないと運転手などはお互いに注意を喚起しあっている。それでも或る時、ボケた運転手が憑依されてしまった。調度僕がエレベーターを降りて車の方へ歩き始めた時だ。誰かが突然大声をあげて喚き始め、訳の分からない事を言い出した。周りの運転手が寄ってたかって押し包んだ。すると、少し静かになったと思ったら今度は泣き出した。僕には聞き取れなかったが、「そんな事をしちゃだめだ、そんな事をしちゃだめだ」と言っていたらしい。その声は女性の声だったそうだ。そのうちに昏倒してしまった。暫くしてホテルが呼んだ救急車が来て、未だ意識のない男を担架で何処かへ運んで行ったが、時々こういう事が起きていたらしい。救急隊員は手慣れたものであった。
 ジャカルターバンドン間の山道でも、偶にお化けが出る。僕も運転手に言われて、成る程一度目撃した。日本でも普通にあるお化け話で、人里離れた暗い所に髪の長い女性がポツンと立っているのだが、不思議に思って振り返るともう消えていた、という、あの話である。運転手には見ればちゃんと分かるらしく、見ていると引き込まれて車ごと道から外れて事故を起こしてしまうので、お化けが出たら目をつぶると言っていた。出る場所も大体決まっていて、運転手同士で情報交換をするらしい。
 だからお祓いの出来るまじない師も沢山いる。ドゥクンと呼ばれる超能力者である。ドゥクンは探し物や、西洋医学では手のつけられない病気を治したり、恋の行方を占ったりする。例えば大事なアクセサリーが見付からなくなったとしよう。幾ら探しても出てこないので、ドゥクンを訪ねて探して貰う。ドゥクンは入った事もない家の間取りが分かっていて、どこの部屋のどの箪笥の上から何番目の引き出しの左の奥にある、などと教えてくれるので家に帰ってその場所をさがすと言われた通り探し物が見付かる。或いは使用人の誰それの部屋の何処に隠してあるよ、などと教えてくれる時もある。恋占いでは会った事もない相手の事が、時には名前まで、分かってしまい色々とアドヴァイスしてくれる。相手が二股を掛けていれば、それも教えてくれる。
 西洋医学ではどうしても原因の分からない病気の時には、ドゥクンが診れば大体誰かに黒魔術を掛けられているという事になる。こういう事で最近人に恨みを買っているだろう、などと知る筈のない事を言い当てて、その恨んでいる人間が悪いドゥクンに黒魔術を掛けさせている、と言うご宣託となる。そこで黒魔術を解き放つ白魔術のお呪いをして貰うと、忽ちにして病気は治る。もっともこういう時にはお呪いの呪力が相手方よりも強くないと負けてしまって治らない。拳大の石がお腹から出てきたりする事もあるが、これは信用出来ない。しかし魔術だけではなく、病院では見付からなかった腫瘍を見付けたりもする。ドゥクンに腫瘍があると言われて病院でもう一度レントゲンやら超音波で診察して貰ったら、なるほど腫瘍が見付かったので直ぐに切除した、という話を聞いた事がある。
 電気人間もいる。マッサージ師なのだが、指先から強力な電流を発する。患者は裸足になって盥の水に足を浸ける。そしてマッサージ師が悪い所に触れると、ビリビリと電流が走って触られている間筋肉が痙攣をおこす。一回20〜30秒、これを何回かやると後が大変すっきりするそうだ。ヘルペスで顔の半分が麻痺した僕の識り合いも藁にも縋る思いで受けてみたら、本当に効果があったと喜んでいた。彼は絶対にまやかしだと思いトリックを見つけようといろいろ探したが、どうしても分からなかった、ありゃ本当に本物かも知れないと言っていた。その電気人間は普段は中部ジャワにいるのだが、将軍に人気が高く定期的にジャカルタに出てきている。因みにインドネシアでは現大統領(退役中将)を初め、軍の幹部は海外留学もしているエリートばかりである。僕の識り合いも新聞やテレビでよくみる将軍達に交じって治療を受けたと言っていた。
 所変われば色々あるもので、それをどう受け止めるかは人様々だが、僕は現地の人と同じ位信用している。何故なら否定する理由が見当たらないからである。インドネシア人はエリートでも実は信じている。ただ、我々外国人が信じていないのを知っているから、決して僕等の前では信じているふりはしない。