baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 日航機御巣鷹山墜落事故

 夏になると毎年JAL御巣鷹山墜落事故が必ず話題になる。だが未だ季節外れの今日、どうしてそんな事を想い出したかと言うと、心無い者が慰霊碑やその周辺で嫌がらせ的な悪行を重ねていると言うニュースが流れたからである。この日航機の墜落事故は僕にとっては一生忘れ得ない事件である。
 今から25年前、実は僕は問題のJAL123便に乗る事になっていた。大阪の大手メーカーから8月13日の朝9時から会議をするから出て来い、という一方的な電話が事故の前日の11日の午後に入って来た。9時の会議は新幹線では間に合わない。当時の新幹線の大阪行きの始発は東京駅発6時、新大阪駅着が9時10分だったのである。従いその日に出るとすれば飛行機しかないのだが、7時位に羽田を発つ飛行機に乗らないと間に合わない。つまり家を5時過ぎには出て車を自分で運転して羽田空港に駐めてやっと間に合う時間なのだ。当時の大手メーカーは商社など小間使い程度にしか思ってくれなかったから、会議の開始時間などもこちらの都合にはお構いなしだったのである。
 そんな時間の会議だから、前の日から梅田まで行っておきたいと飛行機を予約した。しかし折からお盆の時期で満席である。たまたま当時友人が日本航空に勤めていたので、彼に頼んでやっと一席確保して貰った。そして当日は朝から出張の用意をして出社した。ところがその日の夕方、僕がもう羽田に向かおうかという時間になって課長から、今日は6時から打ち合わせをするから参加するように、との突然のお達しが来た。「出張です」と断ったが「緊急会議である。出張は翌日の朝の飛行機で行けば間に合う、欠席罷りならぬ」との厳命が下ってしまった。商売上の問題発生で、突然海外駐在員が成田から直接会社に来て打ち合わせをする事になったと言うのである。迷惑千万と腹立たしかったが、仕方が無い、会議に参加した。
 すると7時半位に誰かが会議室の外で、日本航空の羽田発伊丹行きが行方不明になったと大声で騒いでいる。その時は未だ僕の乗る予定の飛行機だとは思わなかった。事務所では誰かがラジオを点けた。臨時ニュースで日航機行方不明の事を延々と流している。その中に、8時過ぎぐらいから段々と墜落の可能性が高いと言うニュアンスに変わって来た。乗員乗客524名搭乗、などと言っている。会議は9時頃に終わり、真っ直ぐ家に帰ったが、家でもテレビは日航機墜落事故のニュース一色であった。そして、墜落した飛行機は僕が乗る予定の飛行機だった事を悟った。結局その晩は2時か3時までテレビに釘付けだった。予定通りなら自分が乗っていたかも知れないのだから、それこそ他人事ではなかった。
 翌朝羽田に行ったら、テレビクルーがカメラを回して僕等を映している。大分キャンセルが出たようであるが、それでもお盆の最中で他の交通手段に切り替える事が出来なかったのか、飛行機には家族連れを中心に20%位の乗客が乗っていた。キャビンアテンダントは普段と違い、相当年配の男のチーフパーサーが乗っていた。緊急事態に備えたシフトであったのだろう。乗客一人一人に事故を起こした詫びを言っている。新聞はその朝は積んでいなかった。どの新聞も一面全面事故の記事だけで、中を開けても搭乗者の顔写真で一杯で、流石に機内に持ち込むのは憚られたのであろう。
 予定通り大阪の朝の会議を終え、昼前にタクシーで別の訪問先へ移動している時、タクシーのラジオが川上慶子さん救出の実況中継をやっていた。「生存者が見付かったようです。未だ子供のようです。今救急隊員に抱きかかえられてヘリコプターに収容されています」という興奮したアナウンサーの声であった。タクシーの運転手と一緒に思わず喜びの声を上げてしまった。
 あんな大事故の翌日は乗らないで済むなら普通の人は気分的に飛行機には乗らないだろうが、僕は少し臍曲りなのか、帰りも飛行機に乗った。伊丹を6時頃出る日航機だったのだが、流石に帰りはジャンボ機に僕を入れて乗客は3人しかいなかった。予約していた人達は昼の間に他の交通手段に切り替えたのであろう。伊丹の飛行場もガラガラであった。夕刊は帰り便にも当然の如く積んでいなかった。
 僕が予定通りにJL123便に乗らなかったが為に、空席待ちで乗ってしまった人がいる。新聞には同僚の話として、誰某氏は予約が取れずに出発直前に空席待ちで乗った、などと何人かの名前や会社名が載っていた。直接切符を譲った訳ではないから少し具体性に欠けるのが救いだが、僕が助かった代わりに犠牲になった人がいるという思いは25年間ずっと付いて回っている。会社の同期の人間が一人犠牲になった。彼は香港駐在中だったのだがお盆に自費で一時帰国していたのである。彼は左の掌しか出て来なかった。それも、普段使っている櫛を香港から取り寄せて、指紋照合してやっと確認された。骨壷は小さな小さな、赤ん坊の物を使ったと後から聞いた。
 そんな御巣鷹山だが、事故の後暫く現場が見付からなかったのが先入観になっていて、とんでもない山奥だと勝手に思い込んでいた。ところが今日のニュースで上野村御巣鷹山と言う。上野村と言えば何時も通る国道299号沿いではないか。慌てて地図を見たら、何と299号から直線では僅かに7〜8kmの所が山頂の山である。もっと近くを走る県道124号も走った事がある。何時も新緑や紅葉の時に、ひょっとしたら目にしていた山かも知れない。今度近くを通る時には遥拝しよう。それにしても国道からそれ程離れている訳ではないのに、どうしてあれ程墜落現場発見に手間取ったのか、不思議ではある。