baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 乱れ切っている日本語の敬語

 昨今のテレビによる国会中継は、寄席よりも格段に面白い。答弁に不慣れな与党閣僚の暴言、失言、の連発で、国会審議は直ぐに紛糾してしまう。その挙句はお詫びと訂正である。しかも自らの失言を潔く詫びてしまうと、しつこい野党に更に上げ足を取られ兼ねないと思うのであろう、中々素直に謝ったり訂正したりせずに、何かと強弁と負け惜しみが枕に連発されるので、よくもまあこんな言い訳を考え付くものだと噴き出してしまうのである。従来、それ程国会の質疑応答の中継を見る事はなかったが、昨今は面白くて時間があると良く見ている。もっとも、野次は多いし質疑の中身は週刊誌的なネタに基づく物や上げ足取りが多くて、最高の立法府の議論としてはお粗末極まりない。
 それで感じるのだが、最近は国会での言葉遣いが以前に比べて大分丁寧になって来ているような気がする。丁寧と言う事は、言い換えれば質問する側も答弁する側も互いに謙って、相手に敬語を遣う訳である。ところが、ここで議員先生の教養の程が知れてしまう。これは与野党に拘わらず、議員に共通して非常に危うい。
 例えば「.....してございます。」とか「.....になってございます」と言う言い方が良く出て来る。なんでも語尾に「ございます」を付ければ丁寧になると思っているようであるが、日本語として大間違いである。「...して」「...なって」なら「おります」とか「あります」が素直に続くし、「ございます」を遣いたいのなら「...で」ございます、でなければならない。
 ある閣僚が法令の中身を聞かれて「私は詳細は存じ上げませんが、...」と答弁していたが、法律を相手に存じ上げる事はあり得ない。「知りません」の丁寧語は「存じません」なのだから、「私は詳細は存じませんが、」が正しい。自分より目上の人の事を知っているか訊かれて初めて「存じ上げません」と言う言い方が使われる。
 更に、自分を謙って「.....させて頂く」と言う言い方が昨今は大流行りである。国会に限らずテレビのキャスターでもタレントでも、何でも「〜させて頂く」と言っておけば丁寧であると勘違いして「〜させて頂く」のオンパレードである。昔、僕のアシスタントがレストランに電話をして「そちらを予約させて頂いている○○○の×××でございますが、」と言っているのを聞いて注意した事がある。別に相手に予約させて貰っている訳でもないのに、徒に何々させて頂くという言い方は不適切である、「予約している」と言えば十分である、と注意した訳である。ところが昨今はこのアシスタントの使い方などミスに入らないほどの「〜させて頂く」の氾濫ぶりではないか。本来は余程相手が年長の人の場合、或いは自分が出しゃばるのが憚られる事をしたような場合に初めて馴染む言葉なのである。例えば「天皇にお目通りさせて頂いた」と言う按配である。お客様は神様です、と雖もやはり徒に「〜させて頂く」を連発すれば、日本語を理解する人なら逆にからかわれているような気にさえなりかねない。ところが昨今は、ペットにまで「〜させて頂く」時代になったと錯覚しかねない。
 上に上げたのは一例に過ぎず、この頃はデパートでもレストランでも、中々正しい敬語で話しかけられる事がない。丁寧な接客をしてくれている事は伝わらないではないが、折角使うのなら正しく使って欲しいと思う。特にマニュアルにある言葉しか使わない店では、マニュアルをしっかり作って貰うだけで良いのだが、今は敬語の正誤が判断できる人がそもそも減ってしまっているのであろう。若い頃からマンガやゲームに明け暮れて、美しい日本語で書かれた文学に親しむ時間もなくなっているのかも知れない。そう言えば愛読書がマンガで、漢字の読めない首相がいた時期もあった。斯く言う僕もマンガはもう何十年も愛読しているので、マンガを読むから文学書を読まないという事でもないと思うのだが。
 敬語は徐々に死後になって行くのかも知れないが、適切に使えないのなら使わない方が未だ増しである。誤った敬語は却って無礼で聞き苦しい。同様、敬語の使いすぎ、濫発も聞いていられない。欧米の言葉は、言い回しでは多少の敬う言い方はあるものの、言葉としては常に対等で、自分を主張する事には適している。一方敬語がある日本語は、それだけ周囲に気を遣い、相手に繊細な思いを伝えられる言語であると言える。そして、そういう日本語が、日本人が持っていた思い遣りや謙譲という美徳を醸成したのだと思う。その日本語独特の敬語がこうして乱れ切っているのを見るのは寂しいものである。敬語と共に、思い遣りや謙譲という美徳も徐々に消えてしまい、相手構わず自らの権利を声高に主張する文化に取って代わられるのであろうか。