baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 渋谷の傷害事件に想う

 昨日、東京の渋谷駅で通り魔的な傷害事件が起きた。事件の起きた場所は、昔は東横と言ったデパートで僕の中では今でも東横と言う方が馴染むのだが、そのデパートの「のれん街」と言う、お菓子やケーキなどの有名店が軒を連ねている一角へ通じる天井の低い細い通路で、僕もよくチョコレートを買いに通る処である。入院中の病院から外泊許可を得て、上京して来て腰が痛くなり、コインロッカーの前に新聞紙を敷いて3時間も座っていた九州の女性が、被害者の60代の女性にジロジロ見られた、見張られている、といきなり刺したそうである。
 犯人は70代の女性だと言うが、警察官に連行される後ろ姿をテレビで見る限りは、身形も普通のように見える。最近は女性のホームレスも珍しくなくなったので、狭い通路に女性が座り込んでいてもそれほど気に懸けないが、身形が普通の年配の女性が座り込んでいれば、気になるのは自然である。どうして座り込んでいるのか、何処か具合が悪くて困っているのだろうか、声を掛けてみようかどうしようか、通り過ぎながら眼が行ってしまうのは本来なら普通の行動だと思う。それが原因で腹や腕をいきなり刺されたと言うのだから、被害者が気の毒なのは気の毒として、それ以上に何とも言いようの無い重暗い気分にさせられる事件である。
 最近の東京は他人に気を配らないのが度を過ぎている。目の悪い人や体に不具合のある人が雑踏で戸惑っていても、誰も声を掛けないのが極く普通になっている。かく言う僕も、どちらかと言えば見て見ぬ振りをして通り過ぎてしまう事の方が多い。そういう人が沢山いて一々声を掛けていたらキリがないと言うのも一因だが、それ以上に知らぬ人にうっかり関わり合うと突然刺されたりする惧れがあるから、触らぬ神に祟りなしなのである。だから親切をするにも勇気が要る。一旦勇を鼓して声を掛けてしまえば、普通なら後はひたすら感謝され、自分の心も気持ちが良いのだが、そこに到る一歩が中々踏み出せないこの頃である。
 どうしてこんな殺伐とした世の中になってしまったのか。世の中が余りにもヴァーチャルになり過ぎて人と人との生の接触が減ってしまい、見ず知らずの人との接触の仕方が分からない事もあろう。自分の感情を素直に出す術を知らぬ若者が増えたと言う事もあろう。東京に限って言えば、人口が膨れ過ぎている事もあろう。原因は色々だと思う。しかし、世の中が殺伐としたと言う現実に異を挟む人は余りおるまい。
 今回の事件の犯人は入院中であったと言う。それ以上の報道は僕は目にしていないので想像に過ぎないが、恐らくは精神疾患だったのだと思う。だとすれば、今回の事件のように他人に害を及ぼす惧れのある精神病患者が一人で野放しになっていた事になる。僕が日頃感じている昨今の風潮として、人間の尊厳や人権を尊重する余りに、少し行き過ぎている面があるのではないかと言う事がある。今回の事件に限らず、刑事責任を問えない人間が犯した犯罪が最近時々話題になる。勿論全ての人が等しく自由に、尊厳を持って暮らせるのが理想ではあるが、社会に適応できない人を敢えて野放しにする事によって、大多数の人間が営む社会に歪が生じているとすれば、やはり見直すべき、行き過ぎた人権尊重ではなかろうか。