baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 インドネシアの犠牲祭

 インドネシアから犠牲祭の時の、知り合いの家の近所のモスクで屠られた牛の写真が送られて来た。目的は他にあって送られてきた写真だが、犠牲祭の様子が分かるので借用する事にした。ただ、昔は近隣の家族総出で立ち会っていたものが、最近はイスラム教徒にも牛を屠る光景が凄惨で、儀式はどんどん形骸化して来ているように思う。ここでも、牛を屠る事を請け負っている業者以外の立会人が殆ど見当たらない。

 犠牲にされる牛が引かれて入場して来る。牛は未だ大人しい。

 しかし日頃と異なる異常な雰囲気と血の匂いに興奮して逃げ出そうと試み始める。


 興奮いよいよ昂まり、人間との力比べが始まる。左端の男の子など、もう見るに見かねて逃げ出している。牛は文字通り必死になっている。

 しかし結局は人間の知恵と数には歯が立たずに、転がされて足を縛られてしまう。

 真ん中の男の右手には刀が。ほぼ切り終えた処であろう。しかしこの時点では未だ、実際には心臓は動いていて血は波打って流れ出ているし、四肢は時として痙攣し、気管支からはゼイゼイと喘ぐ音が吐き出されている。口からは血の混じった泡を吹き、眼がギョロギョロとする。

 こうして生贄は屠られた。これから解体され、皮は業者がトラックで回って引き取って行く。内臓、特に腸や肺は近隣の貧困者が解体を手伝う駄賃に貰って帰る。
 我々には極めて凄惨な光景であるが、イスラムの人には伝統の儀式であり重要な年中行事である。これが典型的な文化の相違、習慣の相違、宗教の相違である。我々の物差しで、牛が可愛そうだから、残酷だからとイスラムの人々を非難するのは全くの誤りである。何かと言えば腹を切って責任を取った日本人が外国人には未だに全く理解できない訳だが、文化や習慣の相違とはそういうものなのである。他民族の心の中はお互いに、逆立ちしても全てが分かり合える物ではない。