baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 インドネシア旅行記(8) 〜 チャリタ・バンテン

 チャリタはクラカタウ見物に失敗した時に漁船を雇ったリゾートである(11月19日本ブログ)。今回はオートバイで行った。僕のオートバイは当時インドネシアで正式に販売されている中では最大排気量の、単気筒200ccのホンダのバイクだったが馬力もあり良く走った。このバイクより大きなバイクは、当時は全て密輸品であったが、密輸品が堂々と街中を走れるのが如何にもインドネシアらしかった。
 バイクで行けば行動範囲も拡がる。リゾートから更に少し南下すると漁村があり浜辺には小さな漁船が沢山並べられていた。因みに、この辺りの浜は泥浜である。

 夕方になって潮が引くと漁師は網を持って自ら海に入り投網を打つ。遠浅の海ならインドネシアでは何処にでもある風景である。

 ジャワ島の西端に当たるこの辺りでは海沿いまで山が張り出しているのでバイクで走るには都合が良い。山側は余り人も住んでおらず人通りも車も少ないので、道は余り良くないが奔放に走れるバイク天国であった。日本ならさしずめバイクのメッカと呼ばれるようなところだが、高速では二輪車が走れないインドネシアでは勿論こんなところまでバイクで来る物好きはいない。偶に地元の人の足代わりの、べべック(「家鴨」の意)と呼ばれるカブのような110ccのバイクとすれ違う程度だ。

 翌日はジャカルタに戻る帰途、オランダ時代に交易で栄えた港町のバンテンに寄った。チャリタとジャカルタの調度中間ぐらいに位置する。オランダ時代の要塞の残骸が残っている。要塞の残骸は手入れもされておらず、出入りも自由、屋上は草茫々で放し飼いの山羊が草を食んでいた。



  (赤い花は要塞の壁際に生えていた火炎樹の大木

 要塞の近くは漁港になっていて、チャリタよりは余程大きな漁船が沢山並んでいた。町もジャカルタに近い分賑やかで、カメラを構えると子供のみならず大人まで喜んで集まって来た。

  (後から役場宛に人数分の写真を焼いて送ったが、無事に届いたか)

 バンテンには黒装束が特徴の、殆ど外界と接触しない部族が今でも山の中にいる。この人達の集落にも行ってみたかったのだが、危険だと言う理由で回り中からこぞって止められたので断念した。別に蛮族という訳ではないのだが、独特の言葉と習慣を持ち続け、外部の人間には友好的ではないと聞く。
 そして、海から一歩内陸へ入れば何処にでもあるのんびりした農村風景であった。

     (実は昼間の田んぼは猛烈に暑い)