baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 駐韓大使召還

 日本の長嶺駐韓大使と森本釜山総領事が召還される事になった。釜山日本総領事館前に慰安婦問題を象徴する少女像を市民団体が設置するのを阻止出来なかったのみならず、堂々と除幕式までやらせた韓国政府への日本国の意思表示である。そもそも慰安婦問題では何時までもしつこく、事実と異なる極めて偏向した史観に立って日本への文句を言い募る韓国に対して、昨年末に調印した日韓合意自体が随分と韓国に甘い措置だと僕は思っていた。何故なら、日本は既に1995年に㈶女性のためのアジア平和国民基金を設立し、各国、各方面に資金を拠出し、文句を言い募る個人への資金供与も含め、全ての贖罪を終えて2007年に財団を解散した。にも拘らず、またまた韓国側の蒸し返しに日本政府が乗ったからである。更には、日韓合意で日本が強く要求したソウルの日本大使館前の少女像を韓国政府が撤去できぬまま、日本政府は合意に沿った資金供与を実行し、既に元慰安婦に徴用されたと称する売春婦に金を渡してしまったのも甘かった。彼女らはただ金が欲しいだけなのだから、金を目の前にぶら下げて、もう少し韓国政府に日本側の要求を実行させても良かったのではないかと思う。
 元々兵隊相手の慰安婦は内地の置屋で客を取るよりも遥かに良い商売であったから、日本が敗色濃厚になるまでは自ら進んで前線に赴いた女性も多かったと聞く。しかも、慰安婦と言えば第三国人ばかりの印象がある昨今だが、実は日本人女性が数では一番多かったのである。個々の事情は様々であろうが、一言で言ってみれば自ら飛んで火に入った訳なのだが、それでも日本政府は韓国の自称慰安婦には追い銭を払う事にした。にも拘らず、今回の韓国政府の市民団体に対する腑抜けた対応である。幾ら朴槿恵大統領が職務停止になっているとは言え、日韓合意は国と国との約束であり、総理大臣と大統領との個人的な約束ではない。しかも言うに事欠いて、韓国外務省は今回の日本側の措置は非常に遺憾だそうである。自分の責任は棚に上げて、良くも言うものと呆れ返る。北朝鮮拉致問題を引くまでもなく、やはり日本は朝鮮半島の人間に嘗め切られているとしか思えない。
 しかし、その日本を嘗め切っている韓国も、実は劣等感の塊のようである。古は中国に蹂躙され、近代では日本に植民され、日本が敗戦してやっと念願の独立国家となった。しかし独立しても一向に日本への恨み節が終わらない。これはもう劣等感の為せる技としか思えない。一閣僚が靖国神社へ参拝すれば、はたまた文句たらたらの内政干渉である。どうしてそこまで日本が気になるのか不思議でならない。僕は仏教徒キリスト教徒も無神論者もいる戦死者をいっしょくたにして神道靖国神社へ祀る事に反対なら、靖国神社の策謀に乗って戦犯を合祀するのも如何なものかとは思うけれど、だからといって中国や韓国にとやかく言われる問題ではない。増してや戦犯は既に処刑され、贖罪は終えているのだから文句を言われる筋合いは一毫だにないのである。
 日本は暫くは韓国は放っておけば良い。日本が蒙る経済的な打撃は、韓国のそれに比べれば大した事ではない。駄々っ子の相手をすれば、躾の悪い子供は益々図に乗って駄々をこねる。時には知らんぷりをして放っておけば良い。幾ら泣き叫んでも相手にされないと分かれば、馬鹿な子も泣き止んで言う事を聞くようになる。日本に対する今の韓国は正に駄々っ子以下である。せめて昨年末の日韓合意を順守してから出直させれば良い。今般日本政府が堪忍袋の緒を切らせて手を挙げたのは良い。今度ばかりは中途半端に手を下さずに、少しは韓国にお灸をすえる事も必要であろう。そうして韓国が駄々っ子を卒業して一人前に育ち、1952年に一方的に引いた李承晩ラインの向こう側に勝手に取り込んだ竹島の実効支配を止めた時に、初めて本当の日韓友好が始まるのだと思う。

 オスプレイ不時着事故に想う

 沖縄でオスプレイ海上に不時着水して大破した。僕は元々オスプレイは発想に無理がある危険な飛行体だと思っているから、オスプレイ自体には反対であり、その理屈はもう古い記事なので何時頃の事だったかも忘れてしまったが、以前このブログにも書いた事がある。しかしだからと言って、今般の翁長沖縄県知事を初めとする相も変らぬ沖縄のヒステリックな反応には辟易する。沖縄県民の総意ではなく一部の人間が画策しているに過ぎないとは思うが、騒ぎを起こす事が目的であって全く非建設的、且つ不愉快である。
 そもそも人間が作った金属を、人間が操って空を飛ばすのだから、必ず事故が起きて落ちる事はある。神ならぬ人間の宿命である。しかし、民間機の事故は世界中の到る所で頻繁に起きているが、事故がおきたからと言って同型機を直ぐに飛行停止にしたりするであろうか。そんな話は聞いた事が無い。勿論機体に予期せぬ不備があれば飛行停止にするのは当然の事で、最近では新たに就航したばかりのボーイング787のバッテリーが立て続けに火災を起こし、一時飛行を取りやめた。しかし、それ以外では事故機と同型機の飛行停止は記憶にない。そもそも航空機は、就航前の型式認定試験で徹底的に検査を受けており、苛酷な試験をパスしているから、設計上の、或いは機械的な不備はほぼないと言う前提だからである。ホンダジェットMRJも、この型式認定取得に大変な苦労をし、またMRJは今も続けている。オスプレイについてもそれは同様であろう。だから一般的には、事故が起きれば徹底的に原因を究明するし、時にはそれに数年を要する事もあるが、その間同型機を飛行停止にすることはない。その程度には安全が担保されていると言う事である。
 にも拘らず沖縄では、不時着原因が不明だから飛行を取りやめろと大騒ぎである。一見理屈がある様で、実は騒ぎを起こす為に騒いでいるに過ぎない。米軍基地反対だから、何でもきっかけがあれば嫌がらせをする。今回の事故は空中給油中に、給油ホースがローターに当たりローターが壊れたが為にバランスを崩して飛行不能になったとの米軍説明であるが、元々翁長一派は聞く耳を持たないから原因究明が不十分と騒ぐばかりである。しかも5名の搭乗員の中2名が負傷したと言うのに、メディアも含め誰も負傷者の安否など歯牙にもかけていない。僕は、母国を遠く離れた遠隔の地で任務について居る外国の若者に死亡者がいない事を願っているのに、騒いでいる連中にはそんな事はどうでも良いらしい。自分の主張に終始して周囲の事には目もくれない、まるで我儘でただ泣き叫ぶ幼児の態である。
 米兵絡みの事件でも同様である。沖縄には米軍基地が集中し、米兵が多く駐留するから、米兵が問題を起こす確率も上がる。そして沖縄では、米兵が問題を起こすと必ず米兵が出て行けと言う短絡的な反応となる。僕のいる東京にも、中国人を筆頭に外国人が沢山いる。その数は沖縄の米兵の比ではなかろう。その外国人が日本人女性を刺殺した、などという事件も起きる。だからと言って僕達は誰も、外国人は東京から出て行けとは言わない。何故なら、外国人ならみんな悪人だ、という道理がないからである。沖縄の米兵も同様で、中には悪い人間もいよう。日本にだって、警察官や自衛官や消防士の中にも犯罪を起こす人間はいる。だからと言って、皆が皆悪い人間である筈がない。それを、米軍基地があるから沖縄県民は危険にさらされている、悪辣な米兵の盾にされている、と屁理屈をこねて騒ぎ立てる。そこで善良な米兵は気の毒にも、夜間外出禁止だとか禁酒だとか、およそ非人道的で不条理なパーフォーマンスを強いられたりする。
 地政学的に沖縄に基地が多いのは仕方がない。周辺住民には本当に気の毒だとは思うが、幾ら騒いでも、日本の安全保障の為、極東の安全保障の為には沖縄に基地を置くのが一番理に適っている。特に一旦緩急あれば緊急出動が要請される海兵隊と空軍は、前線に近いところにいなければ急場に間に合わない。現在の様に領土拡張に貪欲で、頻繁に軍艦が日本の領海に侵入し、戦闘機が編隊で沖縄列島の上空を横切り、南シナ海では急ピッチで公海上に軍事基地を造成する、といった無頼行為を続ける中国が今の中国であり続ける限りは、沖縄には基地がなくてはならない。その苦労を慮って日本政府も沖縄には並外れて手厚い待遇をして来ている。しからば沖縄県民ももう少し現実に立ち返り、翁長の如き一部の扇動家の言に惑わされる事無く、闇雲に「反対、反対」、「出て行け、出て行け」、と叫ぶのではなく、世界一危険な普天間基地の早期撤去、また民政では家屋の防音やインフラの更なる向上を図り、地域産業の振興を目的により一層の予算配分を国から勝ち取るべきである。勝ち目のない法廷闘争など、百害あって一利もない。

 電気工事奮戦記

 今の集合住宅に移ってから3年半が経過した。照明器具は殆ど以前の家で使っていた物をそのまま持ってきたので、当初は白熱電球と蛍光灯ばかりで、LEDは引っ越しの時に新たに買い足した照明器具一つでしか使っていなかった。しかし白熱電球が市販されなくなり、徐々にLED電球に移行して、やっと蛍光灯を一つ残して他は全てLEDに切り替わった。そこで以前から考えていた居間の照明を調光式にする事にした。
 居間には照明が二つある。それを上下二段のスイッチで点滅させる、一番単純な構造になっている。そこに調光器を入れる訳だが、LED用の調光器は昔のそれと違って何やら難しそうである。そもそも調光器に三種類あり、その中の二種類は調光用に線が一本余分に必要だと言う。我が家は最初から調光など考えて作られていないから、スイッチに来ている電線は当然の事ながら二線式である。この方式で調光するには位相制御方式と言う名の調光器を買わねばならない事が分かった。またLED電球も調光対応の電球でないと調光できない事も分かった。何の事は無い、折角LED電球に切り替わったのだが、調光式にするにはまた電球を交換しなければならないのである。

   (当初の、上下二段式のオーソドックスなスイッチ)
 当初考えていたよりも大分面倒くさそうなのだが、取り敢えずLED用位相制御方式の調光器を二つ、近所のホームセンターで取り寄せて貰う事とした。昔の調光器と違って、一つが上代8,500円と酷く高価で、しかも一つでスイッチボックス一つ分の大きさなので、壁を穿って二連のスイッチボックスを埋める必要もあるのだが、一旦走り出した僕はもう止まらない。ついでに二連スイッチボックス、化粧カバー、電線、コネクターなどもホームセンターで調達した。以前はこういう部品は秋葉原まで出ないと手に入らなかったのだが、近所にホームセンターが出来て随分と助かっている。余勢を駆って、調光対応の電球も調達した。6ヶ必要なので、これも随分な出費であった。
 さて、最大の問題は無事に壁の穴を拡げられるか、新しい二連ボックスを無事に埋め込んで留められるか、である。居間の壁だから、失敗しました、無理でした、では済まされない。醜い傷跡が残ってしまうのだから、絶対に失敗は出来ない。そこで既存のスイッチボックスを取り外して中を調べようとしたら、何と壁に開いている穴はスイッチボックスよりも小さいのである。配線を終えてスイッチボックスまで取り付けた後で、石膏ボードの壁板を張り付けているのである。これでは先ず壁の穴を大きくして既存のスイッチボックスを取り外さないと、壁の裏側の様子が全く分からない。闇雲に壁の穴を拡げるリスクに一時は暗然としたが、スイッチボックスを壁の裏側で動かして、何とか二連ボックスを収めるスペースがある事は確認できた。
 後は厚みが15㎜もあろうかという石膏ボードを、絶対に失敗が許されない中で無事に切削出来るか、専用の工具を買うとこれまた非常に高価なのでたった一ヶ所の工事の為に幾ら何でもそこまでは出費できないし、随分とあれこれ考えた。挙句に、どうしようかと思案しながら道具箱をひっくり返していたら、以前本ブログにも登場した、キャリーバッグにゴム製の足を取り付ける時に活躍した工作用の鋸が見付かった。プラスチック用の大型カッターも出て来た。後は運を天に任せて蛮勇を振るうだけ、と壁の切削に取り掛かった。ところが産むは案ずるよりも易しで、始めてみればそんなに難しい仕事ではなく、脆い石膏ボードは簡単に切削できたのである。そして壁の中にはブリキ製の、中央に溝が作られている横長の板が取り付けてあり、その溝が雌ネジの役目を果たすのでスイッチボックスは左右自在に取り付けられる様になっていた。こういう構造だから、壁板を後から貼り付けてもスイッチボックスは左右に微調整できるし、上下は多少ずれていても配線には支障はない理屈なのであった。
 と言う訳で、無事に居間の照明は調光式に生まれ変わった。もっとも今の処当初の予定通りなのは二つある中の一つ、シャンデリア式の照明だけで、もう一つのペンダント式の方は、100Wの白熱電球に後戻りしている。と言うのは市販されているLED調光対応電球で信頼できる物は今は40W形までの様なのである。僕は最近は暗いと小さな字が読めなくなって来ているので、本当は今までの60W相当の電球を100W相当の電球にして食事や団欒の時は60W程度に、読書の時は100Wにしたかったのである。だから100W相当の調光対応LED電球が出るまでは、物入れからカムバックした古い100Wのホワイトボールが保ってくれないと困る事になった。

     (無事に付いた調光器付きスイッチ)

政治屋 小池百合子の売名行為 〜 築地市場移転延期

 東京都知事選が最悪の結果に終わって一ヶ月、早くも懸念していた事が起きてしまった。政治屋として目立ちたがりが甚だしい小池百合子の売名の為の、築地市場移転の見直しである。前原誠司が自身の選挙公約であった八ヶ場ダムの建設中止を強引に推し進め、結果として周辺住民の苦労を増やし数百億円の税金を無駄遣いしたのと全く同類の、小池百合子の選挙公約に拘った売名行為でまた何百億円もの無駄な税金が飛んでしまう。
 そもそも既定の事業を批判して難癖をつけるのは政治屋の常套手段である。何を言おうが如何いう結果になろうが、過去の決定事項であれば自分には一切責任は波及しないし、その結果の良い面だけを宣伝してその為に増えた経費や関係者の底知れない苦労などを隠しおおせば、自分の任期中の功績になるのである。万が一上手くゆかなくても、適当に着地させてしまって後は頬被りをしておけば、所詮は他人が始めた事だから自分には傷は付かない。大いに気楽な仕事ながら、上手に宣伝すれば売名行為としてはうってつけなのである。これから手がける新しい事業で、或いは既存は既存でも旧来の組織を小型化するとか無駄の多い官僚仕事を簡略化するなどに手腕を発揮してこその政治であろうに、小池は一番安易な過去の批判、粗探しに奔ってしまった。
 こういう輩が都知事になってしまった結果、あの、品格の欠片もない、奢り高ぶった顔を毎日の様にテレビニュースで見せられるのだから、こちらはたまったものではない。それにしても東京都の有権者は、どうしてこうも有名人ばかりに投票してしまい、後先の事を考えないのであろうか。例えば先の参院選では民進・共産共闘の蓮舫がトップ当選している。民進・共産共闘の候補者と、元々自民党代議士の小池百合子の何処に共通点があるというのであろう。東京都民には、有名人であればその人の政策など如何でもよいのであろうか。尤も蓮舫小池百合子と同類の目立ちたがりである事は既に公知の事実であるが、それでも国政に専念するとして都知事選に出て来なかっただけ、小池百合子よりも定見があると言える。
 小池に到っては自民党総裁選に顔を出し、安倍晋三に歯が立たなければ今度は都知事選、定見も何も、政治家として天下国家の事など何も考えていない事は明白である。政治屋として売名する事が目的なのであろう。それにしても、元々東京の有権者には外からの移住者が多く東京の事など如何でも良い人ばかりなのかも知れない。江戸っ子としては何とも情けない、東京の有権者の軽佻浮薄ぶりである。こんな軽佻浮薄な有権者に担がれてしまった小池百合子、今度はどんな売名行為を思い付くのか、僕は内心ビクビクである。例えば、やっと決まった外環道の残りの区間の具体化に待ったなどかけられたら、僕の生きている中に環八を快適に走るなどという夢は飛んでしまう。クワバラ、クワバラ。

 舛添要一の辞任と都知事選

 猪瀬直樹に続いて舛添要一も政治と金で躓いた。都知事が二代続けての辞任であるから、都民としては甚だ嘆かわしい。舛添要一については都知事になる以前から吝嗇家とか自分に甘いとかいう噂は聞いていた。それが海外出張で2億4千万円使った、とか公用車で毎週末別荘通いをしていたと聞くと、本当にけじめのない公私混同だと思う。育ちが悪く、人品骨柄が下等なのである。都政ではこれといった失政もなかったと思うだけに、勿体ない事をしたものである。
 しかしここまで徹底して叩かれるとは、僕は当初は思っていなかった。やっている事と言えば、海外出張での冗費は別としても、寿司屋の数万円の払いや家族旅行の費用を経費で落とすと言うのは、中小企業の社長や自営業者なら珍しくもないレベルの話であろう。改めてメディアの恐ろしさを骨身に沁みて感じたものである。何故なら、都の公費の使い方が杜撰であった事は都議会で追及されるネタではあっても、別に法に触れる訳ではない。そして回転寿司や家族旅行の費用を都に付けていたのならともかく、それらは政治資金で落としていた訳だから、本当は庶民には余り関係の無い話の筈である。それが朝から晩まで、テレビでもラジオでも新聞でも、舛添一色のバッシングである。そしてここぞとばかりの野党の都政を放ったらかしての追求である。
 世間では誰もが説明責任と言うけれど、都の公金を遣い込んだのとは別次元の話だし、しかも参議院議員時代の話が大半だというのに都知事になってからいたぶり倒して辞任に追い込み、50億もの金を遣って新たに都知事選挙をするという。庶民が、所詮は同じ穴の貉揃いであろう野党と、何でも金になれば騒ぎ立てるこれまた品格の欠片も無いメディアに巧みに担がれて、過剰に反応している様に思えてならない。とは言え、これだけ色々出て来ると、舛添も都知事としての人格を備えているとは言い難いから致し方ないとは思うのだが、他方では集団ヒステリーによる魔女狩りが起きた様で何か釈然としないのである。
 そして今は後任候補の話で喧しい。都知事と言えばちょっとした国の年間予算よりも大規模な予算を司り、人口も小さな国のそれを凌ぐ大組織の長である。それだけに、知名度や人気だけで都知事になられては本当は困るのである。しっかり都政を舵取りして貰わねば困るのである。しかし出て来る名前、出て来る顔、何れも貧相で、我が国の人材不足をいやでも思い知らされてしまう。増してや目立ちたがりで出しゃばりの元グラビア・アイドルやニュースキャスターの名前まで取り沙汰される様では世も末である。

 バスタ新宿

 先週から、ほぼ半年ぶりにインドネシアに出張し、昨晩戻って来た。今回はインドネシアの現地資本が独自の技術で製造しているクーベルチュア輸入の話で出掛けたのだが、行く度に工場の近代化が目に見えて進んでいるのを目の当たりにして、外資系ならともかく、インドネシア地場企業の工業化が着実に進んでいる事を従来にも増して実感した出張であった。
 行きは何時もの様に新宿西口から成田行きのリムジンバスに乗ったのだが、新宿西口を出ると直ぐにバスタ新宿に立ち寄る。つい一月程前にオープンした新しいバスターミナルであるから、未だ建物は綺麗なのは当たり前である。しかし新宿駅と直結などと謳っているが、実際はJRの駅と繋がっているだけで、小田急線、京王線都営地下鉄営団地下鉄とは、何れとも甲州街道で隔てられている。しかも地下通路も横断歩道橋もないから、これらの電車で新宿に出たら否が応でも一度地上に出て甲州街道を横断歩道の青信号で横断しなければならない。
 他方駅構内はと言えば、理屈は一応エレベーターでもエスカレーターでも移動は可能な新宿駅だが、その数も積載能力も乗降客に比べれば著しく少ないから、実際には常に人混みまみれの上に何処も彼処も階段だらけの構内を、大きなスーツケースを抱えて上ったり下ったりの移動を強いられる事になる。せめて地上3階とか地下5階とかで直結していれば良いのだが。
 それだけに許し難いのは、バスタには一般車が入れない事である。バスタの甲州街道からの入り口には一般車進入場禁止という柵が置いてあり、係員がいてバスとタクシーしか入れてくれない。しかも新宿駅前は駐停車禁止である。これは一体如何いう了見であろうか。駐車場がないのは仕方がないとしても、せめて一般車にも中に入って同乗者と荷物を下ろすぐらいは認めるべきではなかろうか。
 時間帯にもよるが元々日本一乗降客が多い新宿には、大きな荷物を持って電車やバスで行くのは傍迷惑になるから余り現実的ではない。畢竟大きな荷物のある時は家族が自家用車で送迎する人が多いと思うのだけれども、その自家用車が事実上使用禁止なのである。と言う事は、大きな荷物を持っている人は自家用車ではなく、自宅からタクシーを使えと言う事なのであろうか。これがインドネシアであれば間違いなくバスタの運営会社、特に管轄省庁の担当者にタクシー会社から莫大なお礼が流れていると勘繰るのが当たり前の、一般人を無視した非常識極まりない規則だとしか僕には思えない。
 何も分からない外国人には、どうせ自家用車も使わないだろうから、様々な行き先のバスの停留所が一つのターミナルに集まっているのは結構な事に違いない。しかし、地元の市民にとってはちっとも便利ではないバスタである。外国人観光客が激増して景気の下押しをしてくれるのは悪い話ではなかろうが、外国人の増加に浮かれて肝心の日本人には少しも便利ではない施設に大金をはたくのは如何なものかと考えてしまう。毎週末の伊豆の別荘通いに、タクシーどころか公費で公用車を使う某知事などには思いもよらぬ不便だろうが、僕には何とも腹立たしい不便なのである。例え成田までの所要時間が10分長くなろうと、せめて新宿西口の現行乗り場が何時までも残る事を祈るのみである。

 新倉山浅間公園

 新倉山浅間公園へ行って来た。富士吉田市にある、富士山と桜と五重塔が一度に見られる観光スポットである。と言っても富士山が世界遺産になって急に脚光を浴びたもので、未だ道路地図にも載っていないし道標も全くと言って良いほど整備されていない。僕は上野原まで中央高速で行き、上野原から県道35号線、国道139号線を走ったのだが139号線には全く標識が出ておらず、曲がり角が分からずに随分と行き過ぎてしまった。
 行ったのは16日の土曜日、桜祭りの真っ最中で、地元の小学校の校庭が駐車場に開放されていた。そこから市が用意したシャトルバスで浅間神社下まで行き、浅間神社から上へ397段の階段を上ると忠霊塔の五重塔が建っている。桜は文字通り満開であった。
 人出でごった返していたが、覚悟していた程は中国語は聞こえて来ず、日本人が多かった。僕がいたのは9時〜10時頃であったから、少し時間が早かったのかも知れないがそれでも20%ぐらいは外国人であったろう。写真は撮ったが、どれもまるで絵葉書の様で面白味は少しもない。絵になる場所が決まってしまうので、天候や雲の具合の良い時を狙う絵葉書の方がよほど綺麗である。しかし、そういう処へ行った記念に、やはり写真を撮ってしまう凡人の僕である。

           (中腹の展望台から)

(もう少し左から撮れば正に絵葉書の構図なのだが、人が多過ぎて諦めた)
 帰りは黒野田林道を経由して笹子へ出ようと考えていたが、黒野田林道は入り口から直ぐの処で閉鎖されていた。仕方がないので少し戻り、712号線で初狩経由大月へ抜け、小菅−奥多摩奥多摩周遊路と走り、五日市から八王子へ抜けて中央高速に乗り、夕方から用があったこともあって13時半には帰宅した。走行程273㎞のショートツーリングであった。