baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

旅行記

 インドネシア旅行記(10) 〜 ボゴール

ボゴールはジャカルタから南に60kmほど行ったところにある、急坂の多い瀟洒な避暑地である。国立農業大学がある学園都市でもある。近くにある3000m級の大山(Gunung Gede)の懐に抱かれているので昼間でも涼しい、緑深い都市だ。バンドンに行くのに昔はここを…

 ジャカルタ観光 (3) 〜 中央部

ジャカルタ中央部にはインドネシア最大の回教寺院がある。イスティクラルと呼ばれる、広大な建物である。我々観光客も礼拝の邪魔をしないと約束して裸足になれば入れてくれる。中は吹き抜けで陽も射さないので涼しく、三階ぐらいだったかにあるバルコニーか…

 ジャカルタ観光 (2) 〜 コタ

ジャカルタには観光地がないという事は前にも書いた。オランダ統治時代に、時のスルタンが支配する候国が反旗を翻したものの返り討ちに逢って大虐殺をされたりと、歴史的な場所はある筈なのだがとにかく保存が悪いし石碑の一つもない。彼の地で絶命したオラ…

 ジャカルタ観光(1) 〜 スンダクラパ

ジャカルタはオランダ統治時代の300年間は現在のコタと呼ばれる、海に近い地域を中心とした北部に限定されていて、バタヴィアとかジャヤカルタと呼ばれていた。今でも生粋のジャカルタっ子をブタウィ、バタビアっ子、と呼ぶ。現在の独立記念塔辺りから南側は…

 インドネシア旅行記(9) 〜 ポンティアナック

ポンティアナックは西カリマンタンの州都であり、赤道が走っている、海に面した中都市である。まだスルタンが現存している。浜辺は泥浜でぬかるんでいる所が多い。河沿いに高床式の家が張り出し、子供達は素っ裸で河で遊んでいる。 (やはり裕福な人は川沿い…

 インドネシア旅行記(8) 〜 チャリタ・バンテン

チャリタはクラカタウ見物に失敗した時に漁船を雇ったリゾートである(11月19日本ブログ)。今回はオートバイで行った。僕のオートバイは当時インドネシアで正式に販売されている中では最大排気量の、単気筒200ccのホンダのバイクだったが馬力もあり良く走っ…

 インドネシア旅行記(7) 〜 ディエン高原

中部ジャワにウォノソボという小さな街がある。高地にある、周囲は畑に囲まれた涼しい処である。バザールには獲れたての野菜が並び、茹でトウモロコシが大きなアルミの容れ物にびっしりと並べて売られている。僕はこの規模の街が一番、インドネシアらしくて…

 インドネシア旅行記(6) 〜 タナトラジャ (2)

タナトラジャの人は葬儀の為に生きているのではないかと思われるぐらい、葬儀に重きを置く。誰かが亡くなると、一族郎党全てが揃うまでは葬儀を執り行わないそうである。一族の誰かが海外に移住でもしていると、彼等が故郷に戻れるまで1年でも2年でも葬儀を…

 インドネシア旅行記(6) 〜 タナトラジャ(1)

タナトラジャはトラジャコーヒーで有名な、スラウェシ島中部に位置する高地である。当時はウジュン・パンダン(今のマカッサル)から一日一便飛行機が飛んでいたが、定員12人のインドネシア国産機で、しかもしばしば欠航するのでマカッサルから陸路で行く方…

 インドネシア旅行記(5) 〜 クラカタウ (2)

暫くしてから、スマトラ島南部のランプンに行く機会があった。ランプンにはジャカルタから飛行機も飛んでいるが、機材が小さく20人も乗れない飛行機なのに加え、飛行場もプルタミナの飛行場から飛ぶ完璧なローカル線なので、事故を恐れて車で行く事にした。…

 インドネシア旅行記(5) 〜 クラカタウ (1)

クラカタウと言えば日本人でも名前は聞いた事のある人が多いと思う。インドネシア最大の島スマトラ島とジャワ島の間のスンダ海峡に位置する活火山である。1883年8月に大噴火を起こした。続く大津波がインド洋沿岸に大被害をもたらし、未曽有の人命を攫ってし…

 カンボジア紀行

1996年に、ポルポトとの内戦が終わって間もないカンボジアを、ミッションの一員として訪問した。未だ内戦で疲弊しており経済活動もこれからという時期であったから大変歓迎された。 当時はフンセン首相とシアヌーク殿下の双頭体制であった。実質は既にフンセ…

 インドネシア旅行記(4) 〜 マドゥラ島 〜 競牛

スラバヤから10km程離れた海向こうにマドゥラ島がある。貧しい島で、住民は出稼ぎが多い。ジャカルタでは三輪タクシーの運転手にマドゥーラ人が多い。ナイフ捌きが上手く、性格が荒いのでジャカルタの人とはあまり馴染まない。スラバヤからフェリーで30分位…

 インドネシア旅行記(3) 〜 ウジュンクロン

ウジュンクロンはジャワ島の西端に位置する、世界遺産に登録されている12万ヘクタールに及ぶ国立公園である。希少種の動物が生息している為、一般には公開されていない。車でのアクセスも出来ない。行くには事前に届け出をして許可された者だけが船で行く事…

 インドネシア旅行記 (2) 〜 バンドン

バンドンはジャカルタの南東約180kmにある、インドネシア第三の都市、西ジャワ州の州都がおかれている。この地域の種族はスンダ人と呼ばれていて、メナドと並び称せられる美人の産地と言われている。確かに色白の美人が多い。ジャカルタのカラオケでもバンド…

 インドネシア旅行記 (1) 〜 ブロモ山

インドネシアの有名観光地については既に沢山ガイドブックが出ているので、場所の説明は極力避けるつもりである。僕は実は随分あちらこちらを歩いているのだが、印象の薄い処もあるので、印象の強かった場所に絞って、またガイドブックと重複しないように僕…

 ベトナム訪問記 (3)

ハノイに10日程滞在した後、ホーチミンに移動した。飛行場には自動的にサイゴンツーリストの運転手が、監視役として迎えに来ている。ハノイに比べるとホーチミンには活気と、東南アジア特有の猥雑さがあり何故かほっとした。ハノイでは殆ど目立たなかったシ…

 ベトナム訪問記 (2)

当時ハノイには外国人が泊まれる高級ホテルは2つだったと聞く。僕は旅行社が予約してくれたタンロイ・ホテルという、その昔にロシアが建てた湖の上に張り出した2階建ての広大なホテルに泊まった。空調は入っておらず、各部屋には旧式な騒々しいウィンドウエ…

 ベトナム訪問記 (1)

友人がベトナムから帰って来たと電話をくれた。彼は音楽のマネージメントの仕事をしていて、小振りなオーケストラ、と言っても総勢50人位だろうが、の渡航演奏会を仕切って来たのだ。スポンサーはベトナム航空。色々苦労したかと思ったら、食べ物は美味しい…